西岡 今日は、皆さんに知られてない平山さんの一面を引き出せたらいいなと。
平山 お酒でも飲まなくちゃ、無理ですよ(笑)。
西岡 じゃあ今度、一席用意します(笑)。今日は、そこに行くためのウォーミングアップということで。まず子供の頃の話を聞かせてください。どんな子だったの?
平山 1958年に大阪・東淀川区の三津屋というところで生まれました。小さい頃からメンコしたり、花札を使った「花合わせ」なんて遊びを夢中になってやっていましたよ。
西岡 学校の成績は良かったほう?
平山 小学生の時はオール5。中学もクラスでトップでしたよ。
西岡 野球もやっていたんでしょう。女の子に一番もてるタイプだねー(笑)。
平山 高校に入って腰を痛めましてね。950グラムもある重たいバッドを振っていたから。今考えたら、アホやと思うんですけどね。1年生の時にやめちゃったんですよ。
西岡 で、いい子だった?
平山 いや、よくケンカしましたよ。小学校1年生の時からゲームセンターみたいなところに行っては、パチンコみたいなのをやってね。その玉をいつも半ズボンのポケットに入れておくんですよ。高学年の子に投げつけるために(笑)。そんなわけで、ケンカは強かったですね。ところが、小学校2年生の時に転校してね。始業式の時にいきなり在校生に巴投げされて。思わず泣いてしまった。それからは、ずい分おとなしくなりましたね。
西岡 ふ~ん。で、大きくなったら、何になろうと思っていたの?
平山 野球の選手です。王選手に憧れていました。
――― 青年時代 ―――
西岡 高校時代はどんなでしたか?
平山 野球をやめたから暇を持て余してね、空手をやっていました。ケンカの強い北陽高校とか、浪商の連中と遊んでいましたね。浪商は家が近いから、登校の時にメンチ切り合って。もちろん、校章は外していました(笑)。
西岡 それは悪いねぇ。それで、高校時代には何になろうと思ったの?
平山 パイロットです。パイロットになりたかったから、宮崎の航空大学を受験しようと思ったんですよ。そうしたら、入学試験が10月だと。普通は3月頃なのにね。どうにも間に合いそうもないから、弁護士にしようかなぁと(笑)。それで、担任の先生に「神戸大学か北海道大学か金沢大学に行きたい」と言ったら、「なぜか」って聞くんですよ。「だって、ロマンがあるでしょう」って答えたら、「アホか」って笑われました。くそっと、誕生日を過ぎた頃かな、1月から学校もほとんど行かないで思いっきり勉強しましたよ。神戸大学の法学部に入りました。真剣に勉強しようと法律の本を10万円くらい買いましたよ。
西岡 それは偉いねぇ。珍しい大学生だね!
平山 ところがクラブの勧誘があるでしょう。そこで、応援団に無理やり連れて行かれそうになったので、「今から彼女とデートだから」って(笑)一緒に居た高校の同窓生とずらかりました。医学部の彼女は合気道部だったんで、暇なときに見に行ってるうちに、横で練習している少林寺拳法部に「お前、入れ」と引き込まれてしまいました。
西岡 ふむふむ。
平山 イヤイヤって言っているのに、黒帯なんか巻かれちゃって、「似合うな」とか「かっこいいな」とかおだてるわけです。それで、ちょっとやったら、うまいわけですよ。ほら、高校で空手をやっていたから。で、ものすごく褒められて。同じ憲法でも、少林寺拳法にしようかなぁということで、法律の本も売っちゃいました。
西岡 大学時代はずっと少林寺拳法?
平山 そうです。神戸大学では卒業する時に、体育会で最も活躍した人に「最優秀部員賞」という賞があるのですが、大会に出た時の成績や欠席ゼロということで僕が受賞しましたよ。
西岡 少林寺拳法では何段になりました?
平山 3段です。
西岡 街でチンピラに絡まれたりしたら、今でも勝てる?
平山 たぶん大丈夫。30秒以上続いたら息が上がると思うけど、30秒もかからないでしょうから。現役の4年生の時なんか、相手の蹴りや突きがスローに見えるくらでしたよ。
西岡 川上の「野球のボールが止まって見える」のと同じだね。ところで、少林寺拳法を始めるキッカケをつくってくれた、彼女とはどうなったの?
平山 付き合いましたよ(笑)。伊藤忠に入ってから1年だから……。5年間くらいは付き合ったかなぁ。
西岡 結婚はしなかったの?
平山 僕が就職した時は、彼女はまだ医学部で、プロポーズはしましたよ。そしたら、「仕事したいから、30歳まで待ってくれ」と。だから「待つよ」と言ったんですけど、「医者として仕事がしたいから結婚しても子供はつくらないよ」と言うのです。それはアカンでしょう。それで別れました。
西岡 彼女とはその後は会わずじまい?
平山 彼女が虎ノ門病院の脳外科の医者として頑張っていたようですが、何年か経って、大学時代にバイトしていた三宮のバーに行った時に、店のママから「彼女、亡くなったわよ」と聞きました。40歳のときだと聞きました。ビックリしましたね。
西岡 それはかわいそうに。
――― 決断の時 ―――
西岡 ところで、なぜ今のようなビジネスを始めようと思ったの?
平山 伊藤忠では、大阪の建設部建設第一課というところに15年間いました。そこには素晴らしい先輩方がたくさんいてね。 「迷った時は男らしいほうを選べ」とか、今でも大切にしていることをいろいろ教えてもらいました。ものすごく優秀な人たちでね。東京に本社が移ってからも、僕は大阪で好きなことをやらせてもらいましたよ。分譲マンションだったり、ゴルフ場だったり。場所から何から全て自分で決めていました。30歳そこそこで何百億円もするビッグプロジェクトも担当しましたよ。ゴルフ場やビルの場合は、お客さまにとっては一世一代のビッグプロジェクトですからね。オーナーの要望を聞いてコンサルティングして。伊藤忠とか何とか関係ない。常に、「お前はどういう人間か」を問われるわけです。
西岡 向こうは、あなたに自分の人生をかけているわけだ。
平山 そうです。だから、お客さまとは真剣に向き合いましたね。全てさらけ出して。結果、いろいろな仕事を任せてもらったし、成長させてもらいました。そんなわけで、当時はかなり稼ぎました。ところが、バブルが崩壊すると状況が大きく変わりました。そもそも伊藤忠の建設部は、商社の中でも一番大きかったので、バブル崩壊の影響も大きく受けました。それでも、僕の課は年間20億円くらいは稼いでいましたからね。会社から「東京本社に行って建設部を立て直してくれ」と頼まれました。東京へ移って、建設部の再建計画をつくって提案したら、通っちゃったんです。当時、僕は課長だったんですが、宗吉君(現在、株式会社クリード代表取締役社長)と増田君という「一を聞いて百を知る」というような有能な部下がいまして、「こいつらと一緒にやればできる」という自信もありました。それで、いつものように総論でみんなの賛成を取って、それから各論にもって行こうというつもりでいました。ところが、バブル崩壊とともに優秀な人たちが辞めちゃったものだから、僕たちが言うことを理解できる上司がいないんです。これから新しいことを始めようとしているのに、企画書の「てにおは」から始まって「あれ直せ、これ直せ」と。挙句、「わからないから、やめてくれ」ですよ。「これは、外に出てやったほうが早いな」と会社を辞めることにしました。
西岡 僕はね、いつも「自分の市場バリューを意識せよ」と言っているんですよ。大手企業の“部長”という肩書きだけで偉ぶっているけど、世の中的には「そんなヤツ知らんでー」という人ばかりでしょう。そうなっちゃダメですよと言いたい。「市場における自分のバリューを確立せよ」ってね。平山さんの場合は、伊藤忠時代にそれをやっていたわけだ。
西岡 奥さまは反対しなかったの?
平山 東京に移ることは嫌がっていましたけど、会社を辞めること自体は反対しませんでしたね。僕が38歳で、10歳と7歳の子供が居ましたが会社を辞めることをリスキーだとは思いませんでした。会社を辞めても稼げるという自信がありました。
西岡 奥さまは心配しなかった?
平山 心配したでしょうけど、「言ってもしょうがない」と思っていたんじゃないでしょうか。僕が「自由にやれないほうが辛い人」だと理解してくれていたのでしょう。
平山 最終的には不動産コンサルティングですが、初めのうちは信用がありませんからね。「何か技術を身に付けよう」ということで一級建築施工管理技士の資格も取りましたし、毎日、役員と一緒に現場へ行って体得してローコストでマンションを建築する工法を発見しました。そして、大手のゼネコンが坪単価50万円かかるような賃貸マンションを37万円8000円という価格設定で、“ゼクスシステム”というのを売り出したんです。まぁ、「シニアをやろう」という気持ちは最初からありましたけど、その前に資金を稼がなくちゃアカンでしょう。だから初めから上場をめざして、ローコストで賃貸マンションを売っていこうと。
西岡 土地オーナーに「賃貸マンションやりましょうよ」と提案するの?
平山 そうです。「大手なら50万円かかるけど、うちでやると37万8000円で済みますよ。儲かりますよ」ってね。けれど、ぜんぜん仕事が取れないんですよ。ようやく取れた!と思ったら、必ずその翌日に電話がかかってきて、「大手が赤字覚悟で、その値段でやってくれるから」と断られるわけです。こうして1年2~3カ月も注文が取れませんでした。
西岡 ちなみに、立ち上げ資金はどうしたの?
平山 僕が持っていたマンションを6000~7000万円で売って、資本金にしました。
西岡 仲間は何人いたんですか?
平山 僕を含めて4人です。でも、仲間はお金を持っていませんでしたから。伊藤忠時代のお客さまに頼んで出してもらうことにしました。当然、最初は「独立なんてするな」と説得されるんですが、「平山君には世話になったから」と1000万円単位で5人程度の人が出してくれました。初年度は5800万円の赤字でしたが、2年目は1000万円の黒でした。やり方を変えたんですよ。ローコストだけを前面に押し出そうとすると、地主さんから怪しまれるんですよね。そのたびに、「伊藤忠におりました」とか言わなくちゃいけないし。要は、下手に見られるわけです。それじゃアカンなと。対等な立場でものを言えないといけないと思ったんです。
西岡 へぇ、一皮剥けましたね。素晴らしいですね。
平山 これまで不動産コンサルタントとしてやってきたんだから、きちんと不動産の有効活用を提案できるプロとしてやっていこうと。「マンションやりましょう」だけじゃなく、「ここはホテルがいいですね」、「ここは戸建て住宅にしましょう」といった具合です。そうこうしているうちに、いろいろなお話をいただくようになって。ローコスト工法は奥の手で使うことにしました。ですから、うちの技術室は安くつくるためのノウハウも持っているわけです。
西岡 不動産のバリューを高めて、技術で安くできた分は利益にしていこうと。
平山 お互いの利益ですね。
――― シニアハウジング事業のスタート ―――
平山 そして、2000年に介護保険制度がスタートしたのを機に、シニアハウジング事業を始めました。そして、2001年に多摩プラーザに「ボンセジュール」を、ジャスダックに上場した2003年4月には溝の口に「チャーミング」シリーズをオープンしました。と言っても、「ボンセジュール」はものすごく苦労しました。場所も建物もいいのを選んで、お金がかからないように地主さんが持っている建物を改造してつくった介護付き有料老人ホームですが、オープンに向けてチラシをうったら、42室しかないというのに、1日に100組以上のお客さまが見学に来てくれたんです。「これはスゴイ! うまくいったな」と思っていたのに、1週間後にフタを空けてみたら契約どころか、申し込みすら1件もない。慌ててお客さまに電話して、「なんとか、お願いします」って頼みました。ところが、見学に来てくれた時は「こんなに明るい老人ホームは今まで見たこともない」って喜んでいた人が、「お前のところは信用も実績もないじゃないから」と。「そんなところに、うちの大切なおじいちゃんやおばあちゃんを預けるわけにはいかない」というわけです。ショックでしたね。その時は本気でやめようかと思いました。
西岡 そもそも、それはどういうモデルなの?
平山 介護を必要とされる高齢者の方のための住宅です。入居時に300~400万円の一時金と食事付きで月々13~14万円いただくというモデルです。
西岡 それは信用がいるなぁー。
平山 そうなんですよ。世の中にはまだほとんど存在しない仕組みでしたからね。でも場所はたまプラーザから歩いて7分ですよ。それでもダメなんです。それで、公的な介護支援センターや病院を一軒一軒回って、いろいろな方を紹介してもらいました。で、最初に入居してくれたのが、厚生労働省の役人のお母さまでした。そうしたらお蔭で徐々に入ってくださる人が出てきたのです。
西岡 全室埋まるのに、どのくらいかかったんですか?
平山 42室が全部埋まるのに、3年くらいかかったんじゃないかなぁ。でも、1年くらいしたら、見学に来てくれた人の半分くらいが入居してくれるようになりました。まだまだ赤字でしたが、同時進行で江田につくっていたボンセジュールができたら、たまプラーザでやっているというのが実績になって、先に埋まっちゃったんです。
西岡 ほほう。
平山 同時にコンサルティングのほうで稼ぎながら、2年目でようやく1000万円の黒。次の年が5000万円で、やっと累損を解消しました。そして2000年には9000万円の黒。2001年はいろいろ資本投下したので2000万円、その翌年が4億円、そして7億円で上場しました。
西岡 溝の口には、何室くらいあるんですか?
平山 249室です。共用部分が半分以上ありますから、どうしても高くなってしまうんですけどね。日本ヒュームから借りた土地に自社で建物をつくって、コストを下げました。しかも東京三菱銀行が、「毒も食うなら皿までも」と建築費を全額出してくれることになって。借地なんだから担保もないのにね。溝の口がなかったら今のゼクスはなかったでしょうね。
西岡 溝の口のモデルはどうなっているんですか?
平山 健常な高齢者のための住宅です。一室あたり一時金として3000万円、月々13~14万円いただいています。
西岡 比較的富裕で、健康な老人夫婦が入居されるモデルですね。
平山 そうです。しかも要介護になった後も、ずっといていただけます。他所では普通は要介護になると6坪くらいのところへ移されちゃうんですけど、それで生じるストレスってものすごいものなんです。身体機能が15~20%も落ちるという統計結果まで出ているんですよ。うちではずっと居て頂けます。そのためにも、自社に介護できる仕組みをつくろうと。
西岡 そのあたりのことを具体的に聞かせてください。介護の品質はどうコントロールしているんですか?
平山 訪問介護サービスをやっている企業にお願いして、まず「ボンセジュールたまプラーザ」に訪問介護ステーションをつくって勉強させていただきました。で、3軒目からは自分のところで始めました。アウトソースしていても、クレームは結局、私たちのほうにくるんですよ。しかも別会社だとなかなか改善されない。ならば自社でやらなくてはと、自分たちでやることにして、初めの2つもうちで買い取りました。
西岡 介護のクオリティをコントロールする責任者は?
平山 ゼクスコミュニティという別会社をつくって運営しています。現在15棟、700室くらいありますが、今年中に新しいボンセジュールが12棟できるので、年内中に約1400室になります。
西岡 従業員は何人いるのですか?
平山 従業員は500人、介護士は350人くらいで女性が多いですね。施設介護ではトップクラスだと思っています。
西岡 入居者が病気になったら、どんなサポートをされるのですか?
平山 大切なのは普段からの予防だと思っています。将来的には医者も自社でコントロールできるようにしたいのですけれど、医療行為は医療法人でないとできませんから、今は東京女子医大と提携してジーメドという関連会社で医療関連サービスを行っています。施設内にクリニックを立ち上げる時は、ここが資金を出してサービス運営できる仕組みをつくっています。
西岡 ということは、治療が必要な入居者はそこへ送り込むのですか?
平山 そうです。溝の口にもクリニックはありますが、あくまでも安心のためのもので、簡単な治療や健診を行っています。本当に治療が必要な時は、提携している病院に行っていただきます。ゆくゆくは病院も持ちたいんですけれどね。医者が足りないんですよ。特に、サービス業だと思ってやってくれる人は少ないと思います。
西岡 平山さんのところでお世話している老人は延べ何人くらいいらっしゃるんですか?
平山 現在はボンセジュールに700人、溝の口と本郷に350人ですから、全部で1050人くらいです。2008年までには3500室になりますから、もっと増えるでしょうね。
西岡 そこで、最期を迎えられる方もいらっしゃるでしょう? そこもマーケットになりませんか?
平山 そこはあまり考えていません。お亡くなりになる時は、病院のほうが多いので。それでも施設で最期を迎えられる方もいらっしゃいますから、見取りを大切にしたいと思っています。
西岡 本郷で大きい部屋は何坪くらいありますか?
平山 30坪弱、90平米くらいですが、中には、2つの部屋を購入されて、コネクティングで使われていらっしゃる方もいます。お風呂は各部屋の中のほかにも、温泉があります。本郷や芦屋には、展望浴場のようなものがありますよ。レストランもアスレチックもあるので、マンションにスポーツクラブが付いたようなイメージです。
――― 新しいライフスタイルの提案 ―――
西岡 孤独に豪華な部屋に一人居るのではなくて、コミュニティでみんなと付き合いましょうと、そのために共有部分が非常に充実しているのですね。
平山 そうです。ですから、3億円も5億円もする高価な部屋をつくる気なんて全くないんですよ。
西岡 ご主人は三味線を弾いて、奥さんは英会話やダンスを楽しんで、みたいな生活を楽しんでくださいということですね。そういう場には平山さんも参加されるんですか?
平山 もちろんです。イベントには必ず参加しますし、入居者の方とテーブルを囲んでディナーをとりながらいろいろな話をします。
西岡 入居者の平均年齢は?
平山 75歳くらいです。
西岡 平山さんのご両親と同じくらいですか?
平山 ちょうどそのくらいです。そう言えば、来年、僕の両親も芦屋に入居しますよ。
西岡 いい話ですねぇ。ご両親は喜んでらっしゃるでしょう。
平山 そのようですね。4月には入る予定です。
西岡 ご両親にとっては、息子が成功した上に自分たちの住まいまで用意してくれて嬉しいでしょうね。平山さんのことはどんなふうに見ているんでしょう?
平山 そんな話をしたことはありませんけど、会社の株価は新聞で見ているようですね。
西岡 元気でいらっしゃるんですか?
平山 おやじは人工透析が必要ですが、それでも入居出来ますからこれからは安心です。
西岡 奥さまのご両親は?
平山 僕の両親と同じタイプの部屋に入居しますよ。
西岡 人間の最晩年を尊厳を持って生きてもらうための青梅慶友病院を経営される大塚理事長は精神科医時代に、友人から「認知症の親を受け入れてくれる病院がなくて困っている」と相談を受けたらしいですよ。ところが、あちこちの老人ホームを見て回ったのに、どこも汚くて、臭くて、危険で愕然とした。それで、「こんなところで自分の親を死なせるわけにいかない。自分の両親を安心して預けられる病院をつくろう」と思ったのがキッカケになったらしいですよ。結局、ご自身のご両親も、奥さまのご両親も青梅慶友病院で尊厳をもって最期を迎えたらしいのですが、今度は「将来は自分がこの病院で死にたい」と願っておられるとのコトです。
平山 へぇー。僕とまるで一緒じゃないですか。僕は、自分のところの施設を転々としたいですね。芦屋に入ったら、次は白金に入って……なんてね。他にもそういう人が出てくると思うんですよ。すでに「チャーミング・コート溝の口」に入居されている方が、「チャーミング・スクウェア舞子」へ遊びに行ったりしているので。
西岡 コミュニティが自立して、動き始めているなんていうことはあるんですか?
平山 完全に動き始めていますよ。もちろん、キッカケはこちらでつくりますけど。
西岡 いろいろなアイデアが出てくるでしょうね。それを平山さんが考えるわけ?
平山 僕が考えるというより、それぞれの現場で自然に発生します。例えば、文化祭ではショーもあるし、写真や陶芸、歌、楽器を楽しむ人もいます。
西岡 そこで自分がやっていることを発表するわけ?
平山 そうです。前の年に発表したのはダメですよというルールにすると、毎回新しくて素晴らしいものがたくさん出てくるんですよ。例えば、二科展に入賞した人がいるんですが、その人を中心に絵画のサークルができるんです。そして、「教えてほしい」という人の輪がどんどん広がっていくんです。こういう現象は、そのうち外にも飛び火するでしょうね。「チャーミング」シリーズの入居同士、さらには外の人たちに。
西岡 ほほう。
平山 それから、チャーミングソサエティというのをつくろうと思っているんですよ。そこで入居者もゴルフ場の会員もいろいろな人たちが集まって、みんなが楽しめる企画をやるのが僕の夢なんです。
西岡 いいですねぇ、平山さんの目が輝いていますよ。ほかにやりたいことは?
平山 将来はゼクスを引退してコミュニティのお世話をしたいと思っています。すでに財団やNPO法人はつくりましたが、今の状態ではなかなか思うように活動できませんからね。
西岡 高齢社会だから市場ニーズはどんどん大きくなっていくしね。
平山 以前、シニアを対象にアンケート調査して、「今の人生に何を求めるか」と聞いたら、「教えたい」という答えが一番多かったんですよ。そして二番目が「働きたい」、三番目が「学びたい」、次に「社会貢献したい」、最後に「感動したい」の順です。僕は、シニアにこの5つを全て満たしてもらいたい。けれど本質的に満足させようと思ったら、企業でやるのは難しいでしょう。だから、非営利でやろうと思っているんです。
西岡 確かに、「教えたい」という気持ちはありますよね。
平山 でしょう。だから、今度大学とやるんです。大学で学生に教えるのもいいし、学びに行くのもいい。そういう仕組みをつくろうかなと。
西岡 「教えたい」という願望をどうやって満たしてあげるかが難しいよね。「教えてほしい」という相手がいないと。
平山 懐かしい思い出を語ったたり、昔の歌を唄いながら脳を活性化させる心理的手法で「回想健康法」というのを指導している人がいるんですけどね。それをマスターした人に資格を与えることにしたら、殺到しましてね。資格を与えたところまでは良かったんだけど、資格を取った人が勝手にいろんなところへ教えに行っているんですよ。だから、ちょっとシステムを整備しようかなと思って。
――― 父として ―――
西岡 ところで、平山さんはどんなお父さんですか?
平山 息子は今20歳と17歳なんですが、怖いんじゃないかな。怖いけど、話せる父親だと思いますよ。
西岡 子供たちはどうなってほしいですか?
平山 自由に、自分がやりたいことをやってほしいですね。
西岡 子供たちは、お父さんのことを尊敬してる?
平山 聞いたことはないけど、一応してるんじゃないかなぁ(笑)。
西岡 趣味は?
平山 ゴルフ。一応、シングルです。昔、ゴルフ場をつくっていたでしょう。オーナーってめちゃくちゃうまい人が多いんですよ。それでゴルフがヘタだと、言うこと聞いてくれないから、頑張りましたねぇ。1回1000円くらい賭けるんですけど、勝ったら1ホール預けてくれるんですよ。
西岡 ご主人としてはどうですか?
平山 あまりかまってあげてないから、寂しいでしょうね。家には帰りますが、いつも寝るだけですから。
平山 ゴルフですから(笑)。うちにダックスのワイヤーヘアーという犬が二匹いるんですが、しいて言えば「犬はかすがい」かなぁ。
西岡 「犬はかすがい」というのはうちも正にそうですねー。お互い気をつけましょう。今日は、素敵なお話をありがとうございました!
平山 啓行さんのProfile
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