2006年5月26日金曜日

My Best Jobをつねに意識して仕事をしよう

社会人としてやってきた仕事の中で「自分のベストジョブ」と思える仕事内容を文書にしてまとめる。そして塾生同士でグループ討議をする、それがMy Best Jobである。私が主宰する丸の内ビジネス・アカデミー(@MBA)で金井神戸大学教授にご伝授頂いたもので、毎期の初めに私がモデレータとして一日研修を実践している。
いつ、どういうビジネス環境の中で、どういう職場で、どんな立場で、どんな成果を上げたのか、協力・支援者は誰だったか、非協力・反対者は誰だったか、その反対をどう乗り越えたのか、彼らをどうして支援者に変えたか、と言うことを明記して来てもらう。これは宿題だ。
研修では、塾生(平均年齢39歳のミドル)たちは朝から晩まで一日掛けてグループ討議でみんなの経験を共有する。とくに反対者とどう対処し、成功に漕ぎ着けたかの経験共有を大切にする。

もちろん、他人の経験を共有しても環境の違う職場で、そうそう簡単に参考に出来るわけではない。5期まで毎期続けているこの研修で私がもっとも強調するのは、「これからはMy Best Jobを毎日意識して仕事をして下さい」ということである。

もし、会社に入ったときから、「10年後にMy Best Jobを書かなければならない」と知っていたら、これまでの働き方が変わっていたかも知れないではないか。10年後の成果を意識していたら、毎日を無為には過ごせないはずだ。
この仕事を「My Best Jobにするぞ!」という意識・決意があれば、もっと頑張れたはずだ。その意識を塾生たちに植え付けたいと考えている。
みなさんもやりませんか?

2006年5月24日水曜日

参画意識が重要だ

日本のように経済的に恵まれた社会では、社会人予備軍の学生たちに緊張感がない。多くの学生が「この社会、とにかく何とか食っていけるだろう」とタカをくくって、日々、無為に惰眠・惰食を貪っている。
その大学で講義をすることが多い。社会人を対象とする大学院やMBAコースなどの特別講義の場合は受講生の目が光っていているし、多くの質問が飛んで緊張感のある時間を共有できて楽しいのだが、学部学生に通年で毎週講義をするとなると大変だ。何よりも毎回90分間、学生たちに緊張を保って講義に臨ませるのは並大抵のことではない。容易に想像して頂けるだろう。

ところが、先日、朝9時前に大学構内を教室に向かっていたとき、「先生」と声を掛けて一人の男子学生が近付いた。「今日の宿題の発表を僕らにやらせて下さい」と言う。実は、先週出した宿題が「セブンイレブンの成功要因を分析せよ」であった。3名くらいのグループで実際にお店に行って自分の目で分析して報告するのが宿題だ。今どき、自分から発表をやらせて欲しいと申し出る学生が居ることを知ってびっくりした。
教室に入ってその日の発表グループを指名するのだが、多くの学生が良くやっていて驚いた。もちろんインターネットで調べたというお座なりのデータもあるが、その上に自分の目で調べたり、考えたことを加えている。ちゃんとパワーポイントで効果も付けてプレゼン資料を用意したグループも結構いる。友達の発表にも質問が飛ぶ。何が起こったのか?

その秘密が参画意識である。私の講義は参加型だ。「全出席でも発言のない学生には単位をやらない」と最初に宣言してある。毎回発言学生の名前を記録するのは面倒だが学生に協力させている。毎回宿題を出して、研究結果を次回に発表させる。発表者は教壇に上がってマイクを使って発表するが、発表の仕方、態度にも注文を付ける。宿題の成果、発表態度、質問の中身が成績を決める。
だから質問が多いのだ。これは参画意識を上げるためのインセンティブ。
大学は社会に出る準備であり、会社に就職するとグループで仕事をさせられることが多いから教室でもグループ研究をさせるし、発表の仕方が大切だからそれも教育している。こちらはプレゼンのプロだから注文も厳しいが、それでも懸命に付いてくる。
50名ほどの学生が居眠りもせずに熱心にやっている秘密、それが参画意識とインセンティブだ。一方的に知識を伝達されるのでなく、自分たちが考えたことを壇上に上がって、発表し、質問に答える。やればヤルほどいい成績が取れる。それが気に入ったようだ。

2006年5月12日金曜日

イスラエル見聞録-1

連休を利用してイスラエルを旅してきた。
ドンパチと銃声の絶えない国かと思っていたイスラエルに敢えて旅をしようとした動機は、イスラエル大使館の元の経済公使レビー・エラッド氏が「西岡さん、一度イスラエルにいらっしゃい。こんな危険な東京と比べるとイスラエルはもっとずっと静かで安全ですよ」というジョークに起因する。東京が危険だと言われる理由は主として「交通事故が多いから」だが、凶悪犯罪も頻発する今日この頃の日本である。しかもイスラエルはハイテク・ベンチャーのメッカであるから、VCとしてはいつまでも怖じ気づいているわけにもいかない。今回はテルアビブ(地中海に面する空の玄関)、ガレリア湖周辺、ゴラン高原、首都エルサレム、死海、紅海とレンタカーで550kmを疾駆してイスラエル探訪をしてきた。商売を離れて文化的な面からの見聞録とする。

① イスラエルは何と言っても宗教の国である。旧約聖書を拠り所とし、キリストをメシアとして認めないユダヤ教と、キリストをメシアとして新約聖書を拠り所とするキリスト教の違いなど、旧約聖書の易しい解説書などを読んで予習したが宗教の問題は常に複雑である。ここではいつものように楽しい見聞録に徹して記録するが、やはり特徴的なユダヤ教から触れることとする。

ユダヤ教徒も宗派によって帽子の形や服装に違いがあるが、オーソドックスなユダヤ教徒は白のカッターシャツに白いチョッキを付け(両方の腰のところにヒラヒラが付いている)、つねに真っ黒の帽子に真っ黒のスーツ(グレーの縦縞のスーツや丈の長いものなどもある)を纏っている。年中この姿の信仰心の厚い宗派があり、エルサレム市内のオーソドックスなユダヤ教徒が住む小さな町では、町中の人たちがこの姿である。両方の揉み上げを永く伸ばし可愛らしくカールさせている。結構熱い真夏でもこの姿は変えないという。揉み上げをアップすると中央の男性のようになる。何となく可愛い。右はオーソドックスなユダヤ教徒の町の女性のスナップである。



彼らは常に帽子を離さない。頭を隠すことが聖なる者への尊敬を表すからだ。



このスケッチで右は黒いハットを被った若者、ハットの下には左の男の頭にある小さな帽子がヘアピンなどで固定されている。小さな帽子は黒だけではなく白黒の縞模様やカラフルなものもある。エルサレムのOld cityにある有名な嘆きの壁では、帽子を被らないボクが注意されたが、カーボーイ・ハットを載せればOKだった。日焼け帽子のカーボーイ・ハットでは尊敬を表さないのではと一瞬心配したが、とにかく頭を隠せばよい。次のスケッチは嘆きの壁でお祈りをするオーソドックスなユダヤ教徒である。壁に向けて頭を打ち付けるように揺すっている。こうして、紀元前にローマ帝国に滅ぼされた当時の苦しみを思い、祖国統一への思いを新たにすると言う。


これを遠景にすると次のスケッチとなる。



イスラエルが美しい国だという話は次回に譲る。
帰国して成田空港に到着したとたんにいつもの落胆がおそった。
成田国際空港のトイレには手洗いの後のペーパー・タオルも電動乾燥機もないのだ。
イスラエルではどんな田舎に行ってもトイレにはどちらかが備え付けられていた。
以下、見聞録-2に続きます。

2006年5月1日月曜日

リンク追加のお知らせ

みなさんと色々情報を共有するために過去日経ネットに連載していた
『西岡郁夫の手紙』もリンクへ追加しました。
ご興味があればどうぞご覧下さい。