②ユダヤ教の話からでちょっと抹香臭くなったが、イスラエルは実は花の国である。原種の花が2000種近くも発見されており、その数はイングランドの2倍近くだという。下の写真は原種のケシの花(ポピー)である。地中海とレバノンとの国境からともに10数キロ入った小さな村Yarkaで見付けたポピー畑。もちろん栽培されたものではない。写真では表せ切れないほど一面にオリーブの木が茂り、その下にポピーが人知れず咲き乱れていた。

ただし、交通標識がヘブライ語だけになってしまうこの小さな町にレンタカーでたどり着くのは容易ではなかった。ガソリンスタンドやオフィスやいろんなお店に立ち寄っては地図を片手に方向を確認しながら、それでも大過なくたどり着きました。そこに待っていたのはこの村に住む大家族一家、美味しい伝統的な料理を家族と一緒に頂いて素晴らしいランチになりました。料理は美味しいし人情は厚いし、イスラエルの別の一面を発見できました。食後はご主人夫婦が私たちを上の写真のポピー畑に案内してくれました。このポピー畑は今回の旅のベスト5の一つです。ここから一路ゴラン高原に向かう道路は車の数も少なく、家内がハンドルを握って夕刻前にゴラン高原の中のキブツに到着。キブツとは同じライフスタイル、人生の意義を持つ同士たちが生活の基盤を一つにして村を形成する集団と言えばいいのでしょうか、日本の山岸会がよく似た存在だと思います。ここのホテルを根城に周辺をトレッキングしたり、花畑を散策したりとイスラエルの自然を満喫することが出来ました。下のスケッチはその時の印象を切り取ったものです。花または花の山道を歩いたり、スケッチしたり弁当を食べたり2時間ほどのトレッキングでした。イスラエルらしいなーと思ったのは、遠足に来ている高校生や中学生など子供たちの列の後ろにライフル銃を肩に掛けた引率者が必ず付いていること。その銃は鳥か獣を撃つためですかと試しに聞いてみたら、For security.という答えが返ってきた。それにしては銃が旧式すぎて敵に襲われても応戦できなさそうとも思ったが。

Baniasの泉続く花盛りのトレッキングコース弁当はホテルの朝食の帰りに調達する「パンとオリーブオイルとチーズとトマト」。定番ですがこれは美味しいですよ。下のスケッチは、3月に数百万羽の渡り鳥が羽を休めるというフーラ湖のスケッチ。スケッチしているとみんなが見に寄ってくる。高校生の一段が「スケッチブックの前の方の絵も見せてくれ」というので見せてやると、「Beautiful!」と大騒ぎ。肩を組んで写真を撮ったりして楽しんだ。スケッチの楽しみの一つはこうして現地の人たちと仲良くなれることである。

ゴラン高原の自然を満喫して一路南へ、イエス・キリストが数々の奇蹟を行ったと伝えられるガリラヤ湖に遊びました。今回の旅程の中で唯一シトシトと雨に降られたのですが、雨にむせぶガリラヤ湖は特別に美しく、出発前に読んだ旧約聖書の話を彷彿とさせる光景でした。聞くところによれば、この季節には雨は降らないとのことで、我々を歓迎するためにキリストが奇蹟を起こしてくれたのかも知れません。 ここから宗教の町イエルサレムに向かいましたが、その時のお話しは前回の見聞記でお話ししました。それにしてもイエルサレムは見るところの多い、奥深い素敵な町です。前回に紹介した嘆きの壁で祈り続ける伝統的なユダヤ教徒のスケッチをここでもう一枚。

イエルサレムのOld Cityは宗教的に重要な地だが土産物屋が軒を連ねる観光地。商店街の靴屋に入ってサンダルを値切って買ったり、美味しいフレッシュなオレンジジュースを飲んだり、歩き回った。一つの問題は土産物店の商品に値札がないこと。サンダルを買うときは店主がいろいろ上手に「あなたには特別サービスだ」と言ってくれるが値札がないのだから怪しいモノだ。「値札が無いのはフェアーじゃない」と店主に文句を言ったら、たまたま居合わせたフランス女性たちが僕に同感だとウィンクをしてくれた。ほとんどの店に値札がない。まあ騙されてもと2000円位に値切って買ったサンダルは旅行中も旅行後もなかなか履き心地が宜しい。Old Cityで美味しい店を見付けてランチを食べた。たまたま立ち寄ったのだが、ボクは美味しい店を見付ける天賦の才能を持っているらしい。いつもこの才能がすこぶる役に立つ。 イスラエルはアジアとアフリカの接点としてつねに他国からの攻撃を受け迫害をされ続けた歴史の国だ。イエルサレムの最終日はナチス・ドイツのユダヤ人迫害の歴史を伝える博物館で過ごしたが、重かった。一人の狂気が大多数の人間から理性を奪い、国家を狂わせ、取り返しの付かない蛮行に追いやることができる。この人間の弱さに頭うなだれた。 イエルサレムを終えると死海へ。車の中から死海が見えたときには余りにも水の色が美しくてビックリした。薄い水色から深い紺碧まで、青色のグラディエーションが目に飛び込んできた。ここは海抜-400メートル、世界で最も低いところにある湖である。あくまでも青い空の下に広がる湖はいつまでも見つめていても見飽きぬ美しさだった。有名なエン・ゲディのキブツの中にあるホテルに泊まって死海を堪能することにした。いろいろと周辺で遊んでホテルに到着したのは4時頃、部屋に落ち着いてから「死海で浮かぼう」と定められた湖岸に着いたら二人の係員がホースで水を撒いて片づけている。あれっ変だなと思いながらも湖に入ろうとすると、It's closed.と言うではないか!
以下はその時の会話:
Ikuo: Is it closed?
Staff: Yes, it is closed.
Ikuo: At what time do you close?
Staff: At 5:30pm.
Ikuo: 5:30? But, what time is it now?
Staff: It's 5:33.
Ikuo: Only 3 minutes late? Oh my God! We came here all the way from Japan. It is far, far away from here, you know? Why don't you let us enjoy paddling even for 5 minutes?
と聞くと係員がアゴを湖の方へしゃくって「入れ!」と言う。嬉しかったねー。係員の片付けは結構時間が掛かって、その間ずっと遊ばせてくれた。ありがとうさん。明くる日は余裕を持って死海に遊んだ。色の黒いボクは余り日に焼けると恥ずかしいから、カーボーイ・ハットの上に日傘を差してプカプカ浮いていたら、ヨーロッパ系の観光客から笑われてしまった。もともと死海は海抜-400メートルで空気の濃度が濃いから紫外線を通さず、日焼けをしないと言われている、が、念のために重装備であった。日傘の下のカーボーイ・ハットの下に色白の美肌ならぬ真っ黒の顔、こっちの方が恥ずかしかったかなー? 北欧からの連中は日頃の日光不足を解消するため懸命に日に焼けているが、ホテルで隣り合わせる男たちの脚や腕は重度の火傷のように物凄い水膨れである。よくやるよ!死海に関して一つご注意を。死海では泳ごうとしてはならない。塩分濃度が25%だから水が目にはいると物凄く痛いのだ。また、間違っても死海には飛び込んではならない。飛び込むと比重が大きいので頭や顔面を強打して重傷や死ぬことまであるらしい。死海を終えてリゾートのエイラットへは200キロほど走る。給油したガソリンスタンドで念のために4輪のタイヤをチェックして回ったときに左後方のタイヤの空気圧が足りないことに気付いた。よく見ると大きな釘が刺さっているではないか。気付かずに走り続けていたら炎天下の砂漠の中の道路でタイヤ交換をしなければならないところだった。クワバラクワバラ。ところが、釘を抜いたタイヤのチューブを修理してくれと言うと「道具がないからここでは出来ない。イエルサレムに行けばできる。エイラットに行くって? 途中に出来るところはないと思うよ」とのことだった。レンタカーのインフラは未だ不十分だ。途中、ローマ帝国に滅ぼされたときの最後の砦マサダや奇岩で有名なティムナパーク(下のスケッチ)

に立ち寄って無事に到着したエイラットは紅海を臨む海のリゾートである。ホテルの窓から右にはエジプト、左にはサウジアラビアとヨルダンが見える。写真はホテルの部屋からの眺望。ホテルのプライベート・ビーチで泳いで帰る度に腰に拳銃を付けた係員が部屋番号と氏名をチェックする。さすがイスラエルという印象。やってもらった方がもちろん安だから異存はない。

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