2006年4月24日月曜日

西岡郁夫の起業家インタビュー 第3回 『坂本 孝さん』

ブックオフコーポレーション株式会社 代表取締役社長 坂本 孝さんはEOY-JAPANの2004年度日本代表である。ご略歴は文末にご紹介しました。

――― 会社説明会 ―――

西岡 まずは、人を育てる名人の坂本さんらしいお話が聞きたいですね。
坂本 実は、明日、大阪で「坂本孝 就職活動講座」という就職セミナーがあるんです。普通、この手のセミナーには、「ブックオフコーポレーション」の企業名が冠に付くのにね。明日は、私がこれまでいろいろな学生と接してきて感じたこと、気付いたことをお話するつもりです。でね、そういう場に行くと、「会社説明会へは何回行きましたか?」って聞くんです。「20回以上」と答える人が出てきたら、「そろそろ今年も就職戦線のピークにきたな」と思うんですよ。それが東京だと、3月か4月でピークを迎えるのに、北海道だとゴールデンウィークが明けた頃なんですよね。桜前線みたいですよ。ところで、当社は今年16期目を迎えますが、うちの会社説明会は必ず私がスピーチすることにしているんです。


西岡 へぇー、人事担当役員じゃなく坂本社長自らですか。
坂本 会社説明会で社長が話をしないのは間違っていると思うんですよ。人生の中で一番大切な選択をしようとする人に対して、社長が本音で語らない会社なんてヘンでしょう? 
西岡 確かに、人事部長なんて普通コンサバティブな人のサンプル みたいだから学生の心を打つ訳がないですよね。
坂本 ああいう場で話す人は、笑っちゃいけないんでしょう? きっと、賢そうに権威があるようなフリをしていなくちゃいけないんでしょうね。
西岡 そういう人が、「ウチに来い!」と言っても、ちっとも迫力ないのにね。
坂本 私は「ブックオフには人事部なんてつくらない」と宣言しているんですよ。というのも、うちは店舗が主役の商売でしょう。だから、人事権はすべて現場の責任者に与えて、現場を知らない人事部の人間には人事に関して「あーだ、こーだ」とは言わせません。社員のキャリアパスに応じたジョブローテーションを組んで成長させていこうと思っていますから、人事部などなくても十分にやっていけるんですよ。
西岡 誰が採否を決めるんですか?
坂本 会社説明会で私がスピーチした後で、入社数年目の若手社員に「つらい」と思った体験や本音を吐露させるんですよ。すると、半分くらいの人たちが「そんなにつらい会社なら、止めておこう」となるわけ。西岡 なるほど、そこでやる気のない奴をスクリーニングするわけですね。坂本 そうです。その後のグループ面接や個人面接に、僕や常務が立ち会うことはありません。そこは、現場の責任者である店長に任せて、「1年後には、立派な店長になりそうだ」と思った人を最終の社長面接に残すのです。
西岡 ほほぅ。ということは、店長が「この人なら、自分が成長させることができる」という判断をした人を選ぶわけですか。
坂本 そうです。しかも、うちの採用試験には「成績証明書の提出」も、「筆記試験」もありませんから、学生のウケがいいんです(笑)。『東洋経済』や『週刊ダイヤモンド』などで、よく「入社したい企業ベスト500社」みたいな記事があるでしょう? うちは250位くらいに入っていますからね。
西岡 それは面白いですねー。そもそも僕は、大企業の「人事部主導の採用方式」は間違っていると思うんですよ。なぜなら、コンサバティブで事業責任のない人事部が採用すると、事業に貢献できそうな人よりも安全な人を取ります。安全策を優先するので学歴を尊重するわけですよ。つまり、有名大学卒を採っておけば、後で何か問題があっても自分が責められないという発想です。インテルは、ビジネスユニットの長が予算の範囲で自分のビジネスに適切と判断した人材を採用しています。だから学歴を見ません。人事部に似たようなHR(ヒューマンリレーション)という部署はありますが、面接の時間と場所のセッティングをしてビジネス長に引き合わせると退室します。ところで、坂本さんがそんなふうに人事の仕組みを考えるようになった原点はどこにあるのでしょう?
坂本 僕は、学校を出てから今まで、自分の判断基準という「ものさし」以外で会社勤めをした経験がないんですよ。だから、会社に総務部や人事部があるということすら知らなかったんですよ。で、「会社の最適化」を考え続けていたら、今のようなカタチになっただけ。
西岡 なるほど。会社の仕組みに関する旧い既成概念がなかったんですね。企業や組織に対する先入観を持たずに、正しいと思う道を進んできたら、今のようなカタチになった。
坂本 そうです。

――― 創業のきっかけ ―――

西岡 それにしても、坂本さんはずっと中古ビジネスをされていますが、なぜですか?
坂本 そもそも私は慶応大学を卒業するとき大手広告代理店へ入社するつもりでした。ところが都合で、父が経営していた精麦会社に入って、経営を手伝うことになりました。当時は「貧乏人は麦を食え」なんてことが盛んに言われていた時代で、なぜか会社の業績が伸びて、大きな勘違いをしてしまった。「自分には経営能力があるんだ」ってね。
西岡 いい勘違いでしたねぇ。
坂本 それで、オーディオショップを始めたんです。トリオ、サンスイ、パイオニアが一斉を風靡していた時代です。5年間で莫大な借金をかかえて、高利貸しにまで手を出してしまった。年利72%ですよ。それで、どうしようもなくなって、地元の有力者にお願いして、500坪あった実家の土地を買ってもらったんです。それから、借金を返済して余ったお金で音楽教室を始めました。本当は楽器店をやりたかったんですけどね。楽器店というのは、うまくビジネスしていますよね。彼らが音楽教室をつくるのは楽器の見込み客をつくるためなんです。一人の客にオルガンを販売する、しばらく経つとその客はピアノやエレクトーンに買い換える。しかも、腕を上げるために音楽教室に通いながらグレード試験を受ける。ただし、試験に合格するには、それに対応したレベルの楽器を使って練習しないといけない。で、合格した人には、結婚式場のエレクトーン奏者とか、音楽教室の講師とかいった就職の世話までするんですからね。お客さんのほうは、ついつい買ってしまうわけですよ。こんな上手い話ってないでしょう?しかし、資金が少なくて中古ピアノの販売を始めました。
西岡 中古商品はメーカーの価格コントロールが利かない領域で、全部、自分たちで価格を決められるんでしょう。
坂本 中古には業界規正法のような規制が一切ないんです。新品は石油の元締めのようなもので、メーカーが一番えらい。再販制度のある出版業界と似ているでしょう? だから、古い体質の業界ほど中古ビジネスにチャンスが広がるんです。
西岡 メーカーコントロールが強い業界こそ中古のビジネスチャンスあり!
坂本 そうそう。
西岡 それで、神田の街に並んでいるような古本屋を作ったんですか?
坂本 そうしようと思ったのですが、「古本屋のチェーン店をつくるなんて、言語道断だ」と言われました。
西岡 ということは、最初からチェーン展開するつもりだったの?
坂本 そう。30店舗はつくろうと思っていました。ところが、変人扱いされちゃって(笑)。古本屋になるには、まず目利きができなくてはならないんですよ。各店が仕入れた古本を組合で供出し合って、組合のセリで自分の得意のジャンルを買うという目利きが要る構図です。当時、神田・駿河台にある古書会館というところで行われているセリに出たことがあるんですが、実物も見ずに目録で入札なんかできっこない、こりゃまいったと。
西岡 へぇー。それで、目利きをせずに店員さんが簡単なルールに従って買値も売値も決めるという今のようなビジネスモデルになったのですかー。
坂本 そうです。それで、30店舗くらいになったときに、また神奈川県の古書組合に入りたかったのですが、門前払いされました。
西岡 どうしてですか?
坂本 「あなたたちは、目利きでない。雑本を売っている」と。
西岡 雑本!?
坂本 そう。彼らは、小説やコミックのことを「雑本」と言うんですよ。だから、「本の価値を知らないような人に、組合に入られては困る」と。ところが、最近になって風向きが変わってきました。「うちの組合員は、ブックオフを悪く思っていませんよ。なぜなら、私たちの主な仕入先はブックオフですから」と言われました。 
西岡 古本屋が、ブックオフに本を買いに来る?
坂本 たとえば、手塚治のサインが書かれた初版本のような希少本でもブックオフにはたとえば105円で売っています。うちの単純なルールでは「書き込みがあるのは汚くて評価できない」ということになります。有名作家のサインだろうが、何であろうが、それがブックオフの価格ルールです。だから、ブックオフの105円コーナーには、お宝がいっぱいあるんですよ。それを狙って古本屋が来ます。中には、105円で仕入れた本をオークションに出して、高く売って、生計を立てている人までいるらしいですよ。
西岡 へぇー。それは驚いた!中古の本を使っていろいろなビジネスが考えられそうですねぇ。
――― 人のつながり ―――

坂本 話は変わりますが、先日のEOYのイベントで西岡さんのパネルに出られたホーブの高橋さんが北海道に誘ってくれましてね。タリーズの松田さんも一緒に、西岡さんも行きませんか?
西岡 いいですね!ちょうど僕も、面白いことをやっている各地の中小企業や工場を見て回わろうと思っていたところです。それにしても、高橋さんっていい方ですよね。
坂本 EOYのモナコ大会へも、私じゃなく高橋さんが行くべきだったと思うんです。1年に1回しか自分たちの成果を試すことのできない農業で頑張るようなベンチャーがたくさん出てくると、日本でも自給自足が可能になりますしね。
西岡 まして、日本は減反制度なんていう馬鹿な政策があって農業を大切にしてこなかった。ちっぽけな役人の馬鹿な考えで日本は食料の自給自足も出来なくなりました。農業のベンチャーは貴重な存在ですね。オーストラリアなどでは、農業の工業化が進んでいて、土を使わずに農作物をつくっていますが日本は農業後進国になってしまいました。
坂本 米の工場が世田谷にあってもいいですよね。駒沢公園のあたりとか。

――― 趣味 ―――

西岡 ところで、坂本さんの趣味は何ですか?
坂本 学生時代は、男声合唱団をやっていました。
西岡 そうそう。坂本さんとは、カラオケで「白いブランコ」をハモルんですよね。僕が「白いブランコ」を歌おうとしたら、坂本さんが「それは僕の歌だから下を歌う!」って(笑)。
坂本 三枝成彰さんや羽田孜元さんが六本木合唱団倶楽部というのをやっているでしょう。僕も、銀座合唱団をつくろうと思って、小椋桂さんに「ぜひ、タクトを振ってください」とお願いしたいんですよ。彼を引っ張り出して、ここの3階で練習しようと、グランドピアノまで入れちゃったんですよ。
西岡 僕もメンバーに入れてくださいね。
坂本 もちろんですよ!
西岡 最近の十八番は、さだまさしの『風に立つライオン』でしょう?
坂本 そう。「昔、君と見た千鳥が淵の夜桜が恋しくて・・」という春の歌。実に、いい歌詞なんですよ。
西岡 さだまさしの曲って、キー高くて難しいですよね。谷村新二さんの『群青』も、よく二人がバッティングしますよね。
坂本 そうそう。西岡さんは、尾崎豊さんの『アイラブユー』を狙ってるんでしょう?知っています(笑)。

――― 夢 ―――

西岡 最後に、坂本さんの夢を教えてください。
坂本 “本”と“中古”というキーワードで展開してきたビジネスノウハウを海外で成功させたいんです。ニューヨーク、パリの店では、日本から持ち込んだ本と現地で仕入れた日本語の本を売る、というモデルはすでに成功させたので、こんどは「英語館」と「フランス語館」をつくろうと考えています。こういう店は、まだ海外にもないですしね。
西岡 いけそうですね。
坂本 でしょう? で、隣には、吉野家とCOCO壱番かなと。コーヒーもそうだけど、海外から持ち込まれたものばかりが目立ちますでしょう。日本で培ったノウハウや文化を海外へ持ち込んだら面白いかなと。
西岡 日本から発信するビジネスイノベーションですね。米国は新刊の規制が少ないから、新刊でも安く売っているのはリスクファクターですね。けれど一方で、海外の人たちのほうが日本人より古いものを大切にしますし。これは、うまくいくかもしれませんね。
坂本 それで、タリーズの松田さんにも「知恵を貸してください」って相談したんですよ。うちと組むのは、スターバックスじゃないでしょう?
西岡 それは面白い!そのためにも、6月の北海道行き、ぜひ決行しましょう!人と人とのつながりが、また新しいつながりを生んで、どんどん日本を良くしていかないと。私たちには、そういう責任がありますよね。今日はありがとうございました。


坂本 孝さんのProfile
山梨県甲府市生まれ。1963年、慶応義塾大学法学部卒業後、父親が経営する精麦会社に入社。その後全農などと配合飼料会社を設立。取締役として経営に携わる。1970年にオーディオショップを開業するが、経営に失敗。会社清算後、中古ピアノの販売を手掛ける。1990年、中古本販売のBOOKOFFを開業。翌1991年、ブックオフコーポレーション株式会社を設立し、社長に就任。現在に至る。

2006年4月21日金曜日

マナーについて思うこと

今朝、出社前にスポーツジムで一泳ぎしてきた。朝早く起きるのは大変苦痛だが、運動をした満足感と、泳いだ後に入る準天然温泉の心地よさは格別である。あー、気持ちいいナーとタオルを頭の上に置いて目を瞑った瞬間、顔にバサッと冷たい水が掛かって飛び上がった。エッと体勢を立て直して顔の水をぬぐい、何が起こったのかと見ると、若い男が立ち上がってシャワーをかぶっている。立って頭や顔に強い水を掛けるので、身体で受け止められなかった水が後ろにバァーッと飛んでくるのだ。オオッと言う間もなく次の瞬間、お股を開けて股間に水を掛けだした。股間から下の空間に注がれた水は遮るものもなくバァーッと飛んで顔に注がれる。想像できますか? 知らぬ男の股間をかすめた水が顔に掛かったのですよ。自分のすぐ後ろに湯船があることは分かっているのにねー。もちろん、「マナーが悪い」と厳重に注意をしたが、まだ、自分の顔が汚く感じる。助けてー!

そう言えば、先日はこんなこともあった。風呂から上がってさっぱりとして、バスタオルを巻いて鏡の前で黒髪(?)の手入れをしていると、隣の若者は素裸で鏡の前のイスにあぐらをかいて、下の方のヘアーをドライヤーで乾かしている。どうどうとした態度だ。右手にドライヤー、左手で恥毛をサワサワと掻き分けながら温風を送っている。ドライヤーが直接恥ずかしいヘアーに当たらないのならマナー違反ではないのかな? と思っていたら左手が器用に動いて、抜けたヘアーを摘んで床に捨てた。これは明らかにマナー違反でしょう。でも、これは言うのも恥ずかしくて注意は出来なかった。

まあ、行儀の悪いのは若い人たちばかりじゃないが、お互いちょっと注意をしましょうや。

2006年4月14日金曜日

西岡郁夫の起業家インタビュー 第2回 『松田公太さん・高橋 巖さん』

お約束をしたEOY JAPAN第1回 [リアル・コミュニティ]第一部パネルディスカッションの詳録を当日ご出席頂けなかった方々のためにアップします。

パネリスト:
松田 公太
フードエックス・グローブ(株)代表取締役社長(EOY JAPAN 2002セミファイナリスト)
高橋 巖
(株)ホーブ 代表取締役社長(EOY JAPAN 2005ファイナリスト)

西岡 12月から5月までしか収穫できないイチゴを年中収穫できるように品種改良をして、収穫の端境期にイチゴを食品業界に届けるという事業で成功をされているホーブの高橋巖さんをご紹介します。どうぞ宜しく。フードエックス・グローブの松田公太さんは、あのタリーズコーヒーをアメリカから日本へ持ってきた張本人です。松田さんの『すべては一杯のコーヒーから』(新潮文庫発行)は面白くて1日で読み終えましたよ。コーヒーが美味しいのは当然でしょうが、タリーズはサンドイッチなど食べ物もおいしいね。それがスターバックスとの大きな違いですね。世界のタリーズにはない、T’sアイスクリームも魅力的です。ところで、松田さんは、なぜ起業する気になったのですか?
松田 最初に「起業しよう」と思ったのは、中学生の時です。実は、私の父は魚介類を扱う水産会社のサラリーマンで、小学校から高校までずっと海外で暮らしておりました。その時期に、日本の食文化が海外では間違った捉えられ方をされているということを知り、ショックを受けたのです。例えば、私の家では、毎日“さしみ”を食べていたのですが・・・
西岡 お母様が、さしみ好きだったと聞きましたが?
松田 それが、母が父と結婚した理由でもあります。もともと母は寿司が大好きでした。で、寿司職人と結婚しようと思っていたのに、いい相手が見つからなかったので、セカンドセレクションだった魚屋の父と結婚したというわけです(笑)。それはともかく、ある日、学校の友だちが家に遊びにきたので、母が料理を作ってくれたのです。ところが、テーブルに置かれた“さしみ”を見て、友だちは一斉に「気持ち悪い!」「生の魚を食べるなんて、野蛮だ!」と。で、翌日、学校へ行ったら、私のあだなは「ドルフィン」になっていました。
西岡 えっ? ドルフィン?
松田 ええ。生の魚を食べるイルカと同じだからです。ショックでしたね。日本の食文化をバカにされたと思いました。毎日、「おいしい、おいしい」と食べているものを「ゲテモノ」扱いされたのですからね。その後にも、2年ほど真剣に付き合っていた彼女から「生の魚を食べるなんておかしい」と言われて、「あぁ、彼女とは結婚できないな」と破局を迎えました(笑)。それで、「日本の食文化の素晴らしさ、寿司やさしみのおいしさを世界に伝えよう!」と米国での寿司チェーン展開を考えるようになりました。「食を通じて、文化の架け橋になろう」と、それが起業を考えた動機です。中学生の時でした。
西岡 高橋さんの起業の動機はどうでしたか?
高橋 私は、わさび屋でして。
松田 ご実家がですか?
高橋 いえ、勤めていた会社が、「金印わさび」という食品メーカーでした。網走で、わさびの育種に取り組んでいました。実は、皆さんが良くご存じの、静岡産や長野産のわさびはとても高価なものです。私は、それら本わさびと同じ辛味成分を持つ代替品のわさびを作っていました。網走で仕事をしていて気がついたのですが、この地区で栽培されている農作物の90%以上は麦、イモ、ビートという政府が価格を決定している作物なのです。網走はとっても寒い地区で、冬期間が長いので作られる作物が限定されているということで、農家はしかたないという風に思っているというか甘えているのです。ここに逆に夏が涼しいという気候をうまく利用して他では栽培できない作物を栽培して付加価値の高い農作物で北海道の農業を活性化しようと考えました。ところが、そういうことを農家に話してみても、「冬は長いし、寒さが厳しい場所で作れるものなんかない」と消極的でした。けれど、冷涼な気候を活かせるイチゴなら根付けから2カ月ほどで収穫できるし、年中収穫できる品種開発の研究もあって、ちゃんと採算が合うビジネスにしようと考えたのです。それと、もう一つ。網走は玉ねぎの産地なのですが、ある時、私が玉ねぎ好きと知った農家から“とっておきの玉ねぎ”をもらったのです。形は悪いのですが、ものすごくおいしいんですね。で、「なぜか?」と聞いたら、「農薬を使ってないからだ」と。つまり、市場で売られている形のいい玉ねぎは農薬漬けなのです。けれど、彼らには消費者のための「商品を作っている」という意識はなくて、「原料を作っている」という感覚だったのです。そこで、極力農薬を使わずにおいしい農作物を作ろう、という理想を追いかけて起業しました。
西岡 起業されてから、ずっと順風満帆だったというわけじゃないですよね、松田さん?
松田 ずっと大変でした。一番大変だったのは、1号店を銀座に出店した時。当初、店の損益分岐点は500万円ほどだったのですが、実際には立ち上げ時は350万円ほどしかありませんでした。最初の数カ月間は、赤字の連続でしんどかったですね。
西岡 で、どうしたのですか?
松田 いろいろやりましたよ。もともと私は、銀行の渉外担当で新規開拓の営業を6年間やっていましたからね。飛び込み営業は、得意でした。それで、チラシを作って配ることにしたのですが、資金繰りのためにパソコンも売り払っていましたから、手書きのチラシをコンビニでコピーするわけですが、コピー代は1枚10円です、50枚で500円。コーヒー1杯の儲けは10円ほどですから、50枚配ったら、絶対に50人の人に店へ来てもらわなくては採算が取れません。しかも、リピーターになりうる人たちに配らないと効果がありませんから、周辺の企業を、「ぜひ、いらしてください」と直接チラシをお渡しして回りました。スペシャルティコーヒーなんて、まだ誰も知らない頃でしたし。
西岡 その当時、ほかの店ではコーヒー1杯どれくらいで売られていましたか?
松田 景気の悪い頃でしたからね。店によりますが、プロントやドトールで160~180円のコーヒーが一番売れていた時代に、タリーズは300円で売っていました。
西岡 チラシを渡した人たちは来てくれましたか?
松田 100枚ポストに配って1人来てくれたらいいほうでしょうね。そこをあえて直接手渡しして、相手の目を見てコーヒーについて熱く語ることで、100枚で10~15人は来てくれたと思います。かなりの確率です。
西岡 そのほかにも、歌舞伎座から出てくる女性たちが店に来てくれるように、自分で“サクラ”をしたと聞きましたが。
松田 ええ。いろんな“サクラ”をしました(笑)。銀座に店を出したと言っても、銀座の中でも一番古い雑居ビルで、間口は3.5メートルほどしかありませんでしたから、なかなか歩行者の目には留まらないんです。ですから、店の反対側にあった歌舞伎座前の交差点に立って、信号待ちをするわけです。で、信号が青になったら、歌舞伎座から出てきた人たちの先頭をきって歩いて、昭和通りを渡って店の前に来たら、「なんだこれ! こんなところにコーヒーショップがあるぞ!」と大きな声を出して店に入るんです。すると、私の後ろを歩いていた女性たちがズラズラと、私につられて店に入ってくる。そんなことを何回も繰り返していました。夏場は、アイスコーヒーの入ったプラスチックのカップを持って歩きました。カップに印刷してあるロゴマークを人に見せるようにして、汗だくになりながら店の宣伝をしました。ところが、ある時、私の隣を横切ったカップルが、透明のカップを見て「ああ、スターバックスに行こう!」と急ぎ足で行きました。いやぁ、ショックでしたね。カップについているロゴマークなんか、誰も見ていないことに気づきました。それで今度は、ストローを“緑”にして、店の存在を認知してもらおうとしたのです。ところが、それから半年もしないうちに、スターバックスが同じことをやり始めたのです。”緑のストロー”です。商売のためなら小さな店のマネでもする。「スゴイ」と思いましたね。たった1店舗しかないタリーズの後を追って、彼らは全店のストローを緑に変えたのですから。すごい決断力です。今では、スターバックスUSAも、コンビニも、緑のストローを使っていますよ。
西岡 へぇ、緑のストローはタリーズが最初だったんですか? 皆さん、スターバックスへ行ったら、友だちに「緑のストローは、タリーズが始めたんだよ」と教えてあげましょう(笑)。
松田 それはいいですねぇ。皆さんに広告宣伝費をお支払いしますよ(笑)。西岡 ところで、高橋さんの「大変なこと」は何でしたか?
高橋 農業組合は変わりましたね。昔は、農家があって、農協があって、ホクレンがあって。20年くらい前は、そういう図式を崩すなんて、絶対に考えられませんでしたから。そんなことをしようもんなら、徹底して締め付けられます。例えば、うちがテレビの番組に取り上げられたとするでしょう。そこで使われている資材が映ったら、「ホーブが使っているあの資材は、まさかお前のところのものじゃないよな」と文句を言う人が現れる。その瞬間、当の資材屋はうちから引き上げちゃうんですよ。だから、うちは北海道に会社を興したものの、資材は全て道外から仕入れました。それから、天候リスクとそのリスクヘッジをどうするか、という問題。特に最近は、平均気温が当てにならなくなりましたから。とても暑い年があると思えば、次の年は冷夏だったりしてね。我々は、仕入れた農産物を売買している会社とは違います。実際に農業をしているわけですからね。天候リスクが一番怖いのです。もう1つ。今、うちで大きな問題になっているのが、技術の伝承です。つまり、イチゴというのは、年に1回しか収穫できないわけですから、いくら「10年やってきた」と言っても、たかが10回のことです。そのうち天候リスクで3回くらいは失敗する。場合によっては、倒産しかかることだってあるわけです。まさに今、私たちはそうした学習効果を蓄積してリスクヘッジしていくための勉強をしている最中ということになります。
西岡 国産イチゴの端境期となる夏秋期に収穫・出荷できることが、余所にない“強み”ですね。もちろん、その時期の市場には輸入イチゴも出回りますが、ホーブのイチゴは10パーセント以上のシェアを占めていると言うことですね。けれど、売れすぎて、えらい目にあったことがあると聞きましたが。
高橋 セブンイレブンさんが「カット野菜」から「カットフルーツ」という考えをお持ちでした。そうした中でイチゴを使った商品の開発に力を入れていただき、その中で洋菓子の定番であるショートケーキを夏に限定販売することになりました。「どのくらい作ったらいいのか?」と聞いたら、「ケーキのサイズを工夫するから、1個当たり2粒欲しい」と。1粒をケーキの上に乗せて、1粒をカットしてスポンジの間に挟むというふうです。それで昨年の6月から、全国11000店舗以上のセブンイレブンで売られるケーキ用イチゴを毎日8万8000粒、出荷することになりました。けれど、セブンイレブンのような繁盛している大手は、すぐに新しい商品が企画されますからね。「どうせ秋頃には、なくなっちゃうだろう」と思っていたんですよ。ところが、向こうは全く止める気配がない。そのうち、こちらがギブアップしてしまって(笑)。9月に入ってすぐ、「4日だけ休ませてほしい。2度と休みませんから」とお願いしました。なのに、その後でまた1週間も休んでしまった。さすがに、この時ばかりは「断られてもしょうがない」と覚悟しました。ところが、実によく売れたんですね。セブンイレブンから、「なんとか頑張ってくれ」と。その時、わかったことですが、コンビニで売られているケーキは男性向けなんですね。「弁当を買ったついでに、ちょっと甘いものでも買って帰ろうか」というサラリーマン向けなのです。もともと甘いもの好きの女性は、有名店に行きますから。ということで、先方からは「もっとアイテムを増やしたい」と言われています(笑)。
西岡 松田さんは、3カ月も赤字が続いたのに、よく耐えられましたね。何か支えてくれたのですか?
松田 2つあります。1つは、やめるわけにはいかない崖っぷちに立っていたことです。今でも、経営判断を迷った時は、あえて自分を崖っぷちに立たせるようにしています。上場を廃止する時も、周りからは「なぜ株価も上がっているのに、廃止するのか?」と廃止を留まるように言われましたが、私は「今の段階で上場を続けても、マイナスのほうが多い」と判断したのです。それで相当な借金をして、「やらなくちゃいけない」、「どうしようもない」というところまで自分を追い込みました。もう1つは、もともと自分が持っていた目的と目標を達成するためです。私には、「なぜ、この仕事を始めたのか」という目的が明確にありましたから、途中で「やめてしまおう」と思ったことはありません。
西岡 「人はこの世に生まれた時から、使命を持っている」というのが松田さんの信念ですね?
松田 ええ。私は、幼い頃から使命感をもっていたように思います。よく『シートン動物記』(アーネスト・T.シートン著)を読んでは、“生”と“死”が向かい合っていることを痛感し、「自分も頑張らなくちゃいけないんだ」と言い聞かせていました。それから、弟と母を早く亡くして、残された自分に対する使命感がますます強くなった、ということもあります。ところが、最近の若い人には、そのあたりのことを理解してもらえないことが多いですね。そこで、彼らには「この仕事は自分しかできないんだ、と大いなる勘違いをしろ!」と言っています。そもそも、「日本の食文化を世界に広めるのは、自分しかできない」なんてこと自体、大きな勘違いですよね。けれど、「自分しかできないんだ」と思い続けているうちに、いつの間にかそれが使命感に変わっていたということです。
西岡 高橋さんは、セブンイレブンでの失敗のときに、なぜそんなに頑張れたのですか?
高橋 なぜって、相手の逆鱗に触れたら怖いからですよ(笑)。実は、別のコンビニでも同じようなことは有ります。セブンイレブンのケーキは、あんなに小さくて380円もしますからね。価値の高い仕事はやり甲斐があります。だから、「安くします」と言うのはダメ。「もっと、いいイチゴを出します」と言って、OKをもらうわけです。
西岡 仕事をやめようと思ったことはないのですか?
高橋 「金印わさび」にいた時に、バイオテクノロジーをやっていたのですが、その頃の北海道知事が『バイオアイランド』という大きなテーマを作ってバイオのブームが起こりました。私は各地で講演会に引っ張り出されてね。その当時、「金印わさび」を辞めて、いきなり会社を作ったわけです。すると、「あんな仕事、絶対にうまくいくわけがない」と陰では言われるんですよ。そうすると、「あいつだけには言われたくない。くそっ!」って思うわけですよ。(笑い)
西岡 そうか、頑張れた支えは反発心ですかぁ。ところで、今日ここにお集まりいただいた方の中にも、「起業することを諦めようかなぁ」と悩んでいる人がいるかもしれません。そういう方へお二人からメッセージを送ってください。
松田 そういう時は、走りながら考えたほうがいいんじゃないですか? 立ち止まって「どうしようか」と悩んでいる時は、とかく失敗することとか、悪いことばかり考えてしまいますからね。
西岡 松田さんは、「悩んで眠れない」なんてことはないんですか?
松田 ないですね。もともと睡眠時間は少ないほうで、4時間ほどしか眠りませんが。
西岡 夜は、バタンキュー?
松田 そうですね。嫌なことがあっても、「どうにでもなれ!」という感じ。
西岡 高橋さんはどうですか?高橋 私は、眠れないほうですね。ある晩、家内が目を覚またら、私が会社の金庫から保険証を出してジッと見ていたと。彼女はてっきり、私が自殺でもしてしまうんじゃないかと思ったらしいですよ(笑)。自分では意識がなかったのですが、悩む方ですね。それにしても、「やりたいことは、やってみるしかない」と思いますね。やってみて、失敗して、学習して、また走る、の繰り返し。あまり深刻に考え過ぎないほうがいいのではありませんか?
西岡 一度決めたら、やればいいじゃないかと。
高橋 正しいこと、世の中に役に立つことをやっていれば、必ず誰かが助けてくれる、という信念があります。何度か失敗して、会社を潰しかかったことがありましたが、必ず誰かが助けてくれました。それは、私のやっている仕事が、世の中に必要なことなんだろうと。
松田 走りながら考えろと言いましたが、しかし、「ダメになったら、潰してしまえばいい」という考えだけは、絶対にしないでほしいですね。なぜなら、1回失敗すると、次に成功させるのは難しくなります。だからスタートアップしたら、なんとしてでも成功するまでやり切ってください。
西岡 さて、ここからは会場の皆さんに質問してもらいましょう。お二人に「ぜひ聞きたい」ということはありませんか?参加者 お二人の“野望”というか、どんなビジョンで最終ゴールを目指しているか教えてください。
松田 私は、「食を通じて世界の文化の架け橋となること」を使命としてやっていますが、ぜひ日本初のインターナショナルチェーンを目指したいですね。例えば、吉野家ディー・アンド・シーは、国内に100店舗ほどしかなかった頃すでに、「日本の牛丼を世界に広めよう」と、米国デンバーへの出店を果たしました。実は、私も緑茶専門のカフェである『クーツグリーンティー』をいつアメリカへ持っていこうか悩んでいたことがあるのですが、その時に安部社長から言われたのは、「やろうと思った時にやれ。それが5店舗だろうが、10店舗だろうが関係ない」という言葉でした。近く、クーツグリーンティーもシアトルに出店しますが、マクドナルドは全世界に4万店舗、そのうち日本に3800店舗を展開しています。そういうレベルを狙いたいですね。
西岡 高橋さんはどうですか?
高橋 希望はいっぱいあります。米もやりたいです。流通にしろ、営業にしろ、農産物に関わることでやれることはたくさんあります。だから面白い。けれど、まだまだ法律上の問題もたくさんあります。農業の流通では中間マージンを取る人が大勢いるんですよ。あれがなくなったら、ものスゴイ改革でしょうね。イチゴだけとっても2000億円市場といわれますが、それは農林水産省が発表している市場流通額にすぎません。改革すべきことだらけです。
西岡 ちなみに高橋さんは、業務用イチゴ卸の大手「西村」を子会社化して、苗の生産・販売からイチゴの仕入れ・販売までをトータルに行うワンストップショッピングを成功させていらっしゃいます。ほかに質問されたい方はいらっしゃいませんか?
参加者 人の育て方で苦労されたことはありませんか?
高橋 一番頭の痛い質問ですね。実は、私は人を育てるのがヘタなんです。人に教えるなんて、おこがましくて、考えただけでも気分が悪くなります。これまで、“少数先鋭”なんてカッコいいことを言っていましたけれど、正直、それでは追いつかなくなっていますからね。今年は12名くらいの社員を増やしたのですが、これは40名ほどの当社にしてみれば大変なことでして、何とか自らが考えて手を上げてくれる人をつくろうと思っています。
松田 自分より優秀な人に来ていただきたいと思っています。ただ、経営理念や事業に向ける情熱だけは、自分が彼らに勝っていなくてはいけない。そして、どんなに優秀でも、経営理念や事業に向ける情熱に共鳴してくれない人は、すぐに辞めていってしまうと思っています。同じ船に乗って、一緒に懸命に漕いでいってくれる人を見つけるのが、一番難しい。永遠のテーマですね。そのためにも、社員とは常に面と向かい合って、自分が考えていることを直接話すことが大切なんだろう、と思っています。インターネットなどのコミュニケーションツールに頼っていては、そうした思いを伝えづらい。ですから、自ら社員のところへ出向いて行って、店のマネージャーやアルバイトフェローに話しかけて、自分の気持ちを伝えるようにしています。忙しくて大変ですが、楽しいですよ。
西岡 ところで、今日は会場に「EOY JAPAN 2004ファイナリスト」の坂本さん(ブックオフコーポレーション代表取締役)がいらしています。そこで、人を育てる名人でもある坂本さんにも、お話をうかがいましょう。
坂本 うちは、“古本屋”という人が介在して成り立つビジネスモデルなので、社員とのコミュニケーションを多くとるようにしています。私の今年度の目標は、1000人の従業員と夕食をとること。次に“連結売上”、その次に“経常利益”です。ただ、夕食といっても、一緒に酒を飲みながら雑談に終わるのではなく、「自分の夢と成長。そして理念を持ってその目標に近づくためにはどうしたらいいか」といった中身の濃い話し合いができる場にしたいと思っています。当社では、その年に一番努力してくれた店長をバルセロナに連れていく、というイベントがあるのですが、人材育成にかける費用は、“費用”ではなく、“投資”と考えています。そして、そうした取り組みを続けることで、互いの心がつながり、必ずその成果が表れると思っています。
西岡 坂本さんありがとうございました。そして、松田さん、高橋さん、ありがとうございました。本日のパネルでの出会いがきっかけとなってタリーズ・コーヒーの店頭にホーブのイチゴが並ぶといいですね。会場のみなさま、ありがとうございました。次回、このリアル・コミュニティを開催する時には、「ぜひ、パネラーの席に座りたい」という方はご連絡をお待ちしております。

2006年4月10日月曜日

プレゼンテーションの極意を教えます

プレゼンテーションの極意とは「最初にBangを入れること!」である。

ベンチャーを支援することを最重要の仕事とする当社MICは、しばしば、ベンチャー経営者にプレゼンテーションをする機会を提供する。相手は大企業の開発担当であったり、マーケティング担当であったりするし、コラボの出来そうな異業種のベンチャー経営者同士であったり、いろいろの場面がある。そんなときに、まるで「プレゼンはバックグランドの説明から順序正しく結論へ」との信念を持っているかのように、旧来の日本の大企業型プレゼンをする人が居る。スピードとプッシュが命のベンチャー経営者の方にも結構多いのが実情なのだ。彼らは、会社概要から始まって、業界分析とか過去の技術概要とか、面白くもない内容を退屈な資料を使ってグジグジ続ける。まるで、その退屈な説明で聴衆をしっかい眠りにつかせようとするかのように。もちろん、訴えたい重要なポイントは用意されている。用意されているが、そのページに来たときには聴衆はコックリコックリか、それでなくとも聞く気をほとんど無くしてしまっている。これでは折角のプレゼンの効果は半減以下である。

プレゼンの極意は、最初に「当社はこんなことが出来ます!」とデモを見せるなりして「えっ! 凄いなー! 本当かなー? よし、じゃ聴こう」と聴衆を引きつけることである。

2006年4月7日金曜日

EOY-J 2006のキックオフ・イベントが盛況でした

イベントに集まって頂いたみなさん、ありがとうございました。楽しかったですねー!


第一部のパネルでのホーブの高橋さんの「セブンイレブンへのイチゴ出荷の裏話」は面白かったですね。「小売りの神様」鈴木敏文会長に、1店当たりイチゴを2個と限定しながら注文を取った高橋さんは農学部出身のイチゴ博士であるだけではなく、辣腕の商売人ですね。それにしても1万店以上のお店に毎日届かなければならないのですから、想像を絶する生産管理能力です。
それをまた、失敗無しでは面白くないのですが、出荷できない失敗を2回もやったというのがご愛敬で会場は大笑いでしたね。高橋巌さんて、凄ーくいい人ですね! 雪の北海道からイベントのために駆け付けて頂きました。ありがとうございます。

一方のタリーズコーヒーの松田公太さん、38歳、真っ白のカッターにノーネクタイ、カッコよかったですよ! ボクの好きなカッコです。悪戦苦闘してタリーズコーヒーを日本に持ってきて、一等地の銀座に店を構えたものの3ヶ月赤字の連続。一計を案じて、近くの歌舞伎座から出てくる中高年女性群の先頭に交差点で混じり込んで、自店の前に来ると、「へー、こんなところに美味しそうなコーヒー店がある」とか何とか言って店に入ると、付いてきた見ず知らずの女性の一軍がぞろぞろ店に入って来た! という話は傑作でした。カッコいい松田さんがこんなサクラを自演していたのですね。松田公太さんのガンバリズムの原点には、亡くなられたお母さんと弟さんに「見ていてくれ」という思いがあるとご著書から知りました。ステキな人です。
お二人によるパネルについては後日、詳細のブログを作ります。

イベントには昨年日本代表の坂本孝さん、2回目日本代表の石川光久さんを始め本当に多くの過去受賞者の方々に集まって頂けました。サポーターのみなさまも熱気に溢れていて、みなさんが「今日は良かったねー!」と言い合っておられました。

「この分だと、EOY-Jは日本の起業家たちのコミュニティとして大きな貢献が出来るようになるかも知れない」と感じました。過去受賞者のみなさん、もっともっとEOY-Jに集まって下さい。ファイナリストのみなさま、みなさまのブログが開設できるようにしてお待ちしています。是非ご協力下さい。
また、起業家の顕彰はそのタイミングが難しく、ちょっとタイミングが早すぎたためにセミファイナルだったとか、ファイナルにはなったけど日本代表を逃したとか、残念な思いをした方がたくさん居られることでしょう。だからこそ、EOY-Jは日本代表になるまで何度でも再挑戦が可能です。ガンガン再挑戦頂くこともお待ちしています。

これまでEOY-Jに参加なさっていない起業家の方たちにもどんどん参加して頂けるよう、みなさま方のネットワークでお誘い下さい。宜しくお願いします。

2006年4月6日木曜日

インド見聞録-2

③インドと言えば仏教の発祥の地である。ところが、実際にインドに行ってみると意外にも仏教の影響が余り見えない。至るところあるのはヒンドゥー教だ。上述のガンジス川の沐浴もそうだし、インドの人たちが最も愛し尊敬し畏怖するのはヒンドゥー教のシバ神とその妻パールバァーテー神、それに父親のシバ神に誤って首を切り落とされ、慌ててゾウの首をすげられたムルガ神で、これらは至る所にまつられている。それもそのはず、インドの宗教を人口比で見ると、ヒンドゥー教83%、イスラム教11%、シク教2%、仏教1%弱となっている。下のスケッチはバラナシから直ぐ近くにあるサルナートの仏教寺院で堂内の壁には日本人画家が戦前に描いた壁画がある。シャカ(釈迦)族の王子ゴーダマシッタルタが菩提樹の木の下で悟りを開く話など、シャカの一生が周囲の壁一面に描かれている。


次のスケッチはサルナートにある考古学博物館の中にある展示物。右の4面のライオン像はインドの国章として札にも印刷されている。館内は写真撮影が禁止なのでスケッチが役に立った。いずれもたったまま5分ほどで描いたもの。


④インドではほとんどの人たちが英語を話す。タクシーの運転手はもちろんのこと、前述の小さなボートの船頭さんもペラペラだ。27歳の船頭さんは家庭が貧しかったためにまったく学校に通っていないというのに英語を流暢に操る。早口の上、seasonをセジョンと発音するなどで日本人には聞き取りにくいかも知れないが、バンバン一生懸命に話す。どこで勉強したのと聞くと、「生きるために小さいときからボートを漕いで生きている。客を取るのに英語が必須なので観光客から英語を聞き学んだ。だからこう言うときが勉強の場です」としゃべるワしゃべるワ。お陰でガンジス川やインドの家庭に関していろんな事を学んだが、間断なくしゃべり続けるので、静かなガンジスの川面で船に揺られてボケーッとする願いが叶わない。と言って折角勉強のためにしゃべっているのをムゲにも出来ないので辛抱して相手になっていたが、これではおしゃべりが留まらない。心を鬼にして、「分かった、分かったからちょっと黙っていてくれ。静かなガンガを最大限に楽しみたいからしゃべらずに静かにして、船の櫨の音が心地良いからゆっくり漕いでいてくれ」と言うとやっと静かになった。「静かに蕩々と流れるガンガと船の櫓の音」は心に染みた。それにしても、我々日本人が中学生から10年間近くも学校で英語を学んでいながら、しゃべれないのは実践経験がないためだ。小学校での英語教育が決まったようだが、幾ら早くから、また幾ら永く学校で勉強しても実践で使わないと習得は適わない。

2006年4月4日火曜日

西岡郁夫の起業家インタビュー 第1回 『飯塚哲哉さん』

ザインエレクトロニクス(株) 代表取締役 飯塚哲哉さんはEOY-JAPAN2001のつまり第1回のEOY-Jの日本代表である。ご略歴は文末にご紹介しました。

―――――― 趣味・幼少の頃 ――――――

西岡 今日は、あまり知られていない飯塚さんのステキな一面を探りに来ました。まず、ご趣味から教えてください。
飯塚 ものづくりですね。いわゆる、日曜大工。庭造りってのもありますが、自宅にテラスをこしらえたり、屋根を張ったりしています。子供の時から、タンスくらいは自分で作っていましたから。


西岡 引き出し付きの? それって簡単には作れないですよね。
飯塚 とにかく長くて大きい板を安く手に入れて、切り出して……。
西岡 設計図から描き始めるんですか?
飯塚 そう、手描きでね。最近では、都心に家を建てたのですが、その時もやりましたよ。もちろん、最終的にはプロの設計士がCADを使って、きちんとした図面に仕上げてくれますが、原案は自分で作りました。タンスと同じです(笑)。要するに、ものづくりが好きなんです。今の商売も小学校4年生の時に真空管ラジオを作って徹夜したのがスタートです。気が付いたら夜が明けていましたね。まさに「無我の境地」。実に快感でした。思えば、最近の人たちはかわいそうですよね。かつての工作少年って、真空管を実際に目にして、手で触れていたじゃないですか?
西岡 今は、ブラックボックスになっていますからね。
飯塚 そうそう。コンデンサーは金属と金属が向き合ってできているなんて、誰でも知っていたでしょう。うっかり手を触れて、ズキンとしたりしてね。ところが、今は中を見ることもできないし、触っても何も感じない。まるでバーチャルの世界ですよね。
西岡 簡単に殺し合うようなテレビゲームと同じ。苦しさも、痛さも知らない。
飯塚 ちなみに、僕はハンダ付けのヤニのニオイが好きでしたね。中学生の時はスピーカーボックスも作りました。僕はせっかちだから木工をやっている時の待ち時間がつらいですね。ニスが乾くのを待ったりする。次のことが早くやりたいのに待たなければならないのはつらいのです。せっかちなのです。
西岡 ベンチャーには、せっかちな面も必要なんじゃないですか?


―――――― 時定数について ――――――

飯塚 社内のブログで、「時定数の違いについて」書いたことがあるんです。たとえば、「ナノ秒の世界の仕事をやっている時には、マイクロ秒の事象も、ミリ秒の事象も同時に起こっているわけですが観測できない」といったような内容です。特に、創業時にそういうことを痛感しましたね。僕たちは、少しでも早く事業を始めたいわけです。つまり、お客さんと少しでも早く契約して、そこから支払いを受けたい。そうすることで、僕らにようやく酸素が回ってきて、呼吸ができるようになるんですよ。けれど、その時定数が大企業と僕たちとでは全く違った。我々は時定数が例えばナノ秒で動いているのに大企業はミリ秒とかで動いているのです。
西岡 なるほど。
飯塚 創業当初のうちのお客さんだった日本の大企業の時定数は早くて半年。僕らのそれは数日ですからね。
西岡 だから最初サムソンと組まれたのですか? 彼らの時定数はどうでしたか?
飯塚 彼らも数カ月の単位でしたから、僕たちにとってはこの時定数の差の克服は大変なことでした。で、どうやってそれをしのいだかというと、その期間を埋められるようにお客さんをたくさん作って、つなぎ合わせることで、なんとか生き延びられるようにしていました。
西岡 そういう場面で、「時定数」なんていう物理用語を使うのは、飯塚さんらしくていいですね(笑)。それにしても、ベンチャーのサイクルと大企業のそれを時定数で計るというのは面白いですよ。いいことを聞きました。

―――――― タイプ(性格)について ――――――

西岡 ところで、飯塚さんは緻密に計算してから行動されるタイプですか?
飯塚 僕は、感覚的で粗っぽい方で、意識して緻密さを追求する努力をしてきました。おふくろからも、よく「大胆さと緻密さの両方を兼ね備えて初めて、価値のある人間になる」と言われていましたから。
西岡 どんな努力で緻密さを磨かれたんですか?
飯塚 大学受験ですよ。もともと学校でテストなんかがあると、サッサと答えを書いて教室を出て行っちゃうタイプだったんですが、勘違いやケアレスミスも多くて。それを受験の時に努力して、直したんですよ。問題をどう解くかにはあまり悩まず、どうミスを出さないかと。
西岡 へぇ。普通の人は嫌がる受験を上手に利用したなんて、面白いですね。
飯塚 そういえば、昨年、大学院時代の先輩が亡くなったんですが、彼はサラブレッドでしたね。お父様とおじい様の二代にわたって東大教授でしたから、僕なんかとは比べ物にならない。友人たちに言わせると、彼は「磨き抜かれたロールスロイス」で、僕は「埃をかぶったダンプカー」らしいですよ(笑)。
西岡 埃をかぶったダンプカー? いやぁ、飯塚さんらしくて実に面白い。
飯塚 先日、韓国の取引先から「50万坪の土地を切り開いているから、ぜひ見に来い」と誘われて見学に行ってきたんです。50万坪(約170万平方メートル)といったら、東大の本郷キャンパスが10個分、東京ドーム球場が35面も入るくらいの規模でしょうか。そこをランドクルーザーに乗って、埃まみれになりながらまだ舗装の終わってない広大な敷地を見て回ったのですが、埃をかぶったダンプカーとしては実に爽快で、感動しましたね。

―――――― 休日の過ごし方について ――――――

西岡 ところで、お休みの日は何をやられているんですか。
飯塚 工作ですね。やっぱり工作です。庭造りも好きですが、最近は、もっと趣味の領域を広げたくて、絵も描き始めましたが、基本的にはものづくりです。家を建てた時に担当してくれた建築家は、「ずいぶんうるさい客だなぁ」と思ったでしょうね。自分でいうのも何だけど、僕は空間認知能力が高いんです。だから、平面に描かれた設計図でも、地図でも、ワッと立体的に認識できる。最近完成した家は、地下室が2階まであって、地上は2階、敷地が高台の肩で傾斜のある敷地で、3次元の想像力が試されます。完成するまでの半年間は、僕にとって最高に楽しい趣味の時間でしたね。

―――――― 血液型 ⇒ 株主について ――――――

飯塚 西岡さんは知性派ですよね。僕なんか、臭いがどうとか、熱いとか、体で感じるタイプですが。
西岡 ボクは知性派ではないでしょうね。むしろ動物的で、知性のかけらもありません(笑)。ただ、ベンチャーの作った事業計画書を極めて論理的にチェックするという能力は衰えていませんけど。ところで飯塚さんの血液型は?
飯塚 A型ですが、血液型なんて気にしないほうですね。
西岡 そうですか? 僕は典型的なO型ですが、A型の人には緻密な方が多いですよね。囲碁の世界でも高段者にはA型の人が多いと言われています。
飯塚 昔のことですが、芸大の坂本龍一氏のクラスメートは全員AB型だとかいう噂を聞いたことがありますが何か因果関係はあるんでしょうかね。
西岡 AB型の人は難しいですよね。
飯塚 ええ確かに難しいですね(笑)。
西岡 なんだ、飯塚さんだって血液型、意識してるじゃないですか? 
飯塚 実は、昨日の株主総会の席で、ある株主の方が「健康のために」と本を一冊プレゼントしてくれたんですが、そこに「ヨーグルトには軽い下痢を起こす作用があるから、あまりよろしくない」と書かれていたんですよ。
西岡 えっ? 僕は毎日、カスピ海ヨーグルトを食べていますよ。
飯塚 僕もヨーグルトは毎日いっぱい食べていますよ。
西岡 それにしても、株主総会で株主が社長の健康を思ってくれるなんて、嬉しいことですよね。
飯塚 そうですね。株主との質疑応答は幾ら永くなってもいいと思っています。今回も40~50分続きましたよ。それも、そのほとんどが応援のためのエールでした。
西岡 飯塚さんの人間力ですね。
飯塚 いつもの事ですが、「配当が少ないとか」言う人もいますが、私に言わせれば「配当と成長は相反するもので、どちらで株主に報いるかは、企業が成長フェーズか成熟期かで異なる。我らはまだまだ成長期の少年企業」です。
西岡 そういう社長の本音の思いをぶつけないとダメですよね。弱みを見せないように上手に乗り切ろうと、社長の本音を出せないで、きれい事の株主総会対策を練るというのは絶対に良くないですね。
飯塚 良くないですね。違法性がないように開催するためにしっかり準備をするのは必要なことだけれど、株主を黙らせるために「臭いところにフタをする」みたいな対策は良くない。そもそも、うちは初めから、拝金主義のようなやり方を否定して展開してきましたから、風通しがいいですね。
西岡 それは飯塚さんの「金で来た人は金で去る。僕は君に金をオファーしない」という言葉からも、よくわかります。

―――――― 「脱藩」 ――――――

西岡 飯塚さんの著書に、「脱藩ベンチャーの挑戦」(PHP研究所総研出版発行)がありますが、「脱藩」というのは実にうまい表現ですね。「スピンオフ」というと、単に「一人で飛び出す」というような印象を受けますが、「脱藩」というと、「藩(会社)の戦略に同意できない人が、自分の志、夢の実現を目指すために藩を飛び出す」という実感がでます。
飯塚 確かに、僕たちには「志」がありました。ところが、「志」があっても、日本では大企業を辞めた者に対して、「何かあったのか」というような目で見ますよね。東芝を卒業して数カ月後に、日米の半導体のシンポジウムがあったのですが、そこで日本人とアメリカ人の対応が全く違ったのには驚きました。東芝の肩書きが消えた僕の名刺を見て、「哲哉、やったね、おめでとう!」と言って、起業したことを一緒に喜んでくれたのがアメリカ人でした。日本人の反応は「どうしたんですか?何かあったんですか?」と聞いてくれるのはいい方で、多くは話題にしないように変な気をつかってくれるのです。
西岡 「そこは、触れちゃいけない」という感じですか?
飯塚 そうです。こちらは、夢を持ってワクワクして起業したというのに、何かまずいことがあって辞めざるを得なかったのか?というような感じでした。それには、傷つきましたねー、ショックでした。
西岡 そーかー、そんな経験をされましたか。
飯塚 僕が、日本半導体ベンチャー協会を設立したのも、そこに起因しているのかもしれませんね。世の中に対して、「創業者こそ選ばれた人であり、アントレプレナーこそエリートなんだ」と声を大にして言いたかった。そう仲間に呼びかける、という意味で「脱藩」なのです。
西岡 僕は、ベンチャーと一緒に大企業を訪問する機会が多いのですが、いつも気になるのはそこに現れる大企業のミドルの連中の覇気のないこと。人数だけは多いのですが、彼らの目はまるで死んだ魚のような目をしているんですよ。絶好のチャンスとベンチャーが技術の説明の話をしてもコックリ、コックリが始まります。一度、堪りかねて「難しい仕事でも5年後には自分の手で成功させるんだ、というサクセス・ストーリーを書くつもりで仕事をしなさい」と注意したことがあります。
飯塚 そういえば僕も、昔のことですがコンサルタント業をしていて、クライアント先の会社を訪ねたことがあるんですが、彼らは大勢で2列に並んで座っているんですよ。大勢参加して頂いて大変嬉しかったのですが、会議が長くなってくると、後ろの人たちがいっせいに船をこぎ始める。確かに、ビジネスの話し合いを大勢でやるのは臨場感を薄め問題ですね。
西岡 何かあった時に自分で責任を取らないで、「皆で決めた事じゃないか」という言い訳をしたいんでしょうね。
飯塚 そういう大企業からはもっともっと世直しのための脱藩者が出ないと行けません。
西岡 世直しのための脱藩。まるで、坂本龍馬のようですね。坂本龍馬は33歳の若さでこの世を去るまでに、新しい日本を実現するためあれだけの仕事をしました。すごい人物ですよね。33歳までにまでにあれだけの仕事をしたのですからね。それにしても昔は若くても大きな仕事をしましたね。僕がシャープに入ったのは25歳の時でしたが、当時の係長は28、9で15人くらいの部下を率いて、立派に自分のグループを切り盛りしていましたからね。ものすごく怖かったし、業務日誌なんか真っ赤にされましたよ。ところが、最近は35、36でも、まだピヨピヨしている。
飯塚 そう、ピヨピヨしていますよね(笑)
西岡 飯塚さんが「平成の坂本龍馬」と言われる理由がわかりますよ。日本人が一番好きな歴史上の人物。ステキな人ですよね。今日は、ありがとうございました。
飯塚 ありがとうございました。

飯塚哲哉さんのProfile
1975年、東京大学大学院電子工学科修了、工学博士。同年より株式会社東芝勤務(1980-81 米国HP社IC研究所駐在。1990-91 東芝半導体技術研究所LSI開発部部長)。1991年、株式会社ザイン・マイクロシステム研究所設立。翌1992年、ザインエレクトロニクス株式会社設立、2001年にJASDAQに上場。2005年は売上218億円、経常利益26億円。2004年 社団法人日本半導体ベンチャー協会を設立して会長就任、現在に至る。