2006年4月14日金曜日

西岡郁夫の起業家インタビュー 第2回 『松田公太さん・高橋 巖さん』

お約束をしたEOY JAPAN第1回 [リアル・コミュニティ]第一部パネルディスカッションの詳録を当日ご出席頂けなかった方々のためにアップします。

パネリスト:
松田 公太
フードエックス・グローブ(株)代表取締役社長(EOY JAPAN 2002セミファイナリスト)
高橋 巖
(株)ホーブ 代表取締役社長(EOY JAPAN 2005ファイナリスト)

西岡 12月から5月までしか収穫できないイチゴを年中収穫できるように品種改良をして、収穫の端境期にイチゴを食品業界に届けるという事業で成功をされているホーブの高橋巖さんをご紹介します。どうぞ宜しく。フードエックス・グローブの松田公太さんは、あのタリーズコーヒーをアメリカから日本へ持ってきた張本人です。松田さんの『すべては一杯のコーヒーから』(新潮文庫発行)は面白くて1日で読み終えましたよ。コーヒーが美味しいのは当然でしょうが、タリーズはサンドイッチなど食べ物もおいしいね。それがスターバックスとの大きな違いですね。世界のタリーズにはない、T’sアイスクリームも魅力的です。ところで、松田さんは、なぜ起業する気になったのですか?
松田 最初に「起業しよう」と思ったのは、中学生の時です。実は、私の父は魚介類を扱う水産会社のサラリーマンで、小学校から高校までずっと海外で暮らしておりました。その時期に、日本の食文化が海外では間違った捉えられ方をされているということを知り、ショックを受けたのです。例えば、私の家では、毎日“さしみ”を食べていたのですが・・・
西岡 お母様が、さしみ好きだったと聞きましたが?
松田 それが、母が父と結婚した理由でもあります。もともと母は寿司が大好きでした。で、寿司職人と結婚しようと思っていたのに、いい相手が見つからなかったので、セカンドセレクションだった魚屋の父と結婚したというわけです(笑)。それはともかく、ある日、学校の友だちが家に遊びにきたので、母が料理を作ってくれたのです。ところが、テーブルに置かれた“さしみ”を見て、友だちは一斉に「気持ち悪い!」「生の魚を食べるなんて、野蛮だ!」と。で、翌日、学校へ行ったら、私のあだなは「ドルフィン」になっていました。
西岡 えっ? ドルフィン?
松田 ええ。生の魚を食べるイルカと同じだからです。ショックでしたね。日本の食文化をバカにされたと思いました。毎日、「おいしい、おいしい」と食べているものを「ゲテモノ」扱いされたのですからね。その後にも、2年ほど真剣に付き合っていた彼女から「生の魚を食べるなんておかしい」と言われて、「あぁ、彼女とは結婚できないな」と破局を迎えました(笑)。それで、「日本の食文化の素晴らしさ、寿司やさしみのおいしさを世界に伝えよう!」と米国での寿司チェーン展開を考えるようになりました。「食を通じて、文化の架け橋になろう」と、それが起業を考えた動機です。中学生の時でした。
西岡 高橋さんの起業の動機はどうでしたか?
高橋 私は、わさび屋でして。
松田 ご実家がですか?
高橋 いえ、勤めていた会社が、「金印わさび」という食品メーカーでした。網走で、わさびの育種に取り組んでいました。実は、皆さんが良くご存じの、静岡産や長野産のわさびはとても高価なものです。私は、それら本わさびと同じ辛味成分を持つ代替品のわさびを作っていました。網走で仕事をしていて気がついたのですが、この地区で栽培されている農作物の90%以上は麦、イモ、ビートという政府が価格を決定している作物なのです。網走はとっても寒い地区で、冬期間が長いので作られる作物が限定されているということで、農家はしかたないという風に思っているというか甘えているのです。ここに逆に夏が涼しいという気候をうまく利用して他では栽培できない作物を栽培して付加価値の高い農作物で北海道の農業を活性化しようと考えました。ところが、そういうことを農家に話してみても、「冬は長いし、寒さが厳しい場所で作れるものなんかない」と消極的でした。けれど、冷涼な気候を活かせるイチゴなら根付けから2カ月ほどで収穫できるし、年中収穫できる品種開発の研究もあって、ちゃんと採算が合うビジネスにしようと考えたのです。それと、もう一つ。網走は玉ねぎの産地なのですが、ある時、私が玉ねぎ好きと知った農家から“とっておきの玉ねぎ”をもらったのです。形は悪いのですが、ものすごくおいしいんですね。で、「なぜか?」と聞いたら、「農薬を使ってないからだ」と。つまり、市場で売られている形のいい玉ねぎは農薬漬けなのです。けれど、彼らには消費者のための「商品を作っている」という意識はなくて、「原料を作っている」という感覚だったのです。そこで、極力農薬を使わずにおいしい農作物を作ろう、という理想を追いかけて起業しました。
西岡 起業されてから、ずっと順風満帆だったというわけじゃないですよね、松田さん?
松田 ずっと大変でした。一番大変だったのは、1号店を銀座に出店した時。当初、店の損益分岐点は500万円ほどだったのですが、実際には立ち上げ時は350万円ほどしかありませんでした。最初の数カ月間は、赤字の連続でしんどかったですね。
西岡 で、どうしたのですか?
松田 いろいろやりましたよ。もともと私は、銀行の渉外担当で新規開拓の営業を6年間やっていましたからね。飛び込み営業は、得意でした。それで、チラシを作って配ることにしたのですが、資金繰りのためにパソコンも売り払っていましたから、手書きのチラシをコンビニでコピーするわけですが、コピー代は1枚10円です、50枚で500円。コーヒー1杯の儲けは10円ほどですから、50枚配ったら、絶対に50人の人に店へ来てもらわなくては採算が取れません。しかも、リピーターになりうる人たちに配らないと効果がありませんから、周辺の企業を、「ぜひ、いらしてください」と直接チラシをお渡しして回りました。スペシャルティコーヒーなんて、まだ誰も知らない頃でしたし。
西岡 その当時、ほかの店ではコーヒー1杯どれくらいで売られていましたか?
松田 景気の悪い頃でしたからね。店によりますが、プロントやドトールで160~180円のコーヒーが一番売れていた時代に、タリーズは300円で売っていました。
西岡 チラシを渡した人たちは来てくれましたか?
松田 100枚ポストに配って1人来てくれたらいいほうでしょうね。そこをあえて直接手渡しして、相手の目を見てコーヒーについて熱く語ることで、100枚で10~15人は来てくれたと思います。かなりの確率です。
西岡 そのほかにも、歌舞伎座から出てくる女性たちが店に来てくれるように、自分で“サクラ”をしたと聞きましたが。
松田 ええ。いろんな“サクラ”をしました(笑)。銀座に店を出したと言っても、銀座の中でも一番古い雑居ビルで、間口は3.5メートルほどしかありませんでしたから、なかなか歩行者の目には留まらないんです。ですから、店の反対側にあった歌舞伎座前の交差点に立って、信号待ちをするわけです。で、信号が青になったら、歌舞伎座から出てきた人たちの先頭をきって歩いて、昭和通りを渡って店の前に来たら、「なんだこれ! こんなところにコーヒーショップがあるぞ!」と大きな声を出して店に入るんです。すると、私の後ろを歩いていた女性たちがズラズラと、私につられて店に入ってくる。そんなことを何回も繰り返していました。夏場は、アイスコーヒーの入ったプラスチックのカップを持って歩きました。カップに印刷してあるロゴマークを人に見せるようにして、汗だくになりながら店の宣伝をしました。ところが、ある時、私の隣を横切ったカップルが、透明のカップを見て「ああ、スターバックスに行こう!」と急ぎ足で行きました。いやぁ、ショックでしたね。カップについているロゴマークなんか、誰も見ていないことに気づきました。それで今度は、ストローを“緑”にして、店の存在を認知してもらおうとしたのです。ところが、それから半年もしないうちに、スターバックスが同じことをやり始めたのです。”緑のストロー”です。商売のためなら小さな店のマネでもする。「スゴイ」と思いましたね。たった1店舗しかないタリーズの後を追って、彼らは全店のストローを緑に変えたのですから。すごい決断力です。今では、スターバックスUSAも、コンビニも、緑のストローを使っていますよ。
西岡 へぇ、緑のストローはタリーズが最初だったんですか? 皆さん、スターバックスへ行ったら、友だちに「緑のストローは、タリーズが始めたんだよ」と教えてあげましょう(笑)。
松田 それはいいですねぇ。皆さんに広告宣伝費をお支払いしますよ(笑)。西岡 ところで、高橋さんの「大変なこと」は何でしたか?
高橋 農業組合は変わりましたね。昔は、農家があって、農協があって、ホクレンがあって。20年くらい前は、そういう図式を崩すなんて、絶対に考えられませんでしたから。そんなことをしようもんなら、徹底して締め付けられます。例えば、うちがテレビの番組に取り上げられたとするでしょう。そこで使われている資材が映ったら、「ホーブが使っているあの資材は、まさかお前のところのものじゃないよな」と文句を言う人が現れる。その瞬間、当の資材屋はうちから引き上げちゃうんですよ。だから、うちは北海道に会社を興したものの、資材は全て道外から仕入れました。それから、天候リスクとそのリスクヘッジをどうするか、という問題。特に最近は、平均気温が当てにならなくなりましたから。とても暑い年があると思えば、次の年は冷夏だったりしてね。我々は、仕入れた農産物を売買している会社とは違います。実際に農業をしているわけですからね。天候リスクが一番怖いのです。もう1つ。今、うちで大きな問題になっているのが、技術の伝承です。つまり、イチゴというのは、年に1回しか収穫できないわけですから、いくら「10年やってきた」と言っても、たかが10回のことです。そのうち天候リスクで3回くらいは失敗する。場合によっては、倒産しかかることだってあるわけです。まさに今、私たちはそうした学習効果を蓄積してリスクヘッジしていくための勉強をしている最中ということになります。
西岡 国産イチゴの端境期となる夏秋期に収穫・出荷できることが、余所にない“強み”ですね。もちろん、その時期の市場には輸入イチゴも出回りますが、ホーブのイチゴは10パーセント以上のシェアを占めていると言うことですね。けれど、売れすぎて、えらい目にあったことがあると聞きましたが。
高橋 セブンイレブンさんが「カット野菜」から「カットフルーツ」という考えをお持ちでした。そうした中でイチゴを使った商品の開発に力を入れていただき、その中で洋菓子の定番であるショートケーキを夏に限定販売することになりました。「どのくらい作ったらいいのか?」と聞いたら、「ケーキのサイズを工夫するから、1個当たり2粒欲しい」と。1粒をケーキの上に乗せて、1粒をカットしてスポンジの間に挟むというふうです。それで昨年の6月から、全国11000店舗以上のセブンイレブンで売られるケーキ用イチゴを毎日8万8000粒、出荷することになりました。けれど、セブンイレブンのような繁盛している大手は、すぐに新しい商品が企画されますからね。「どうせ秋頃には、なくなっちゃうだろう」と思っていたんですよ。ところが、向こうは全く止める気配がない。そのうち、こちらがギブアップしてしまって(笑)。9月に入ってすぐ、「4日だけ休ませてほしい。2度と休みませんから」とお願いしました。なのに、その後でまた1週間も休んでしまった。さすがに、この時ばかりは「断られてもしょうがない」と覚悟しました。ところが、実によく売れたんですね。セブンイレブンから、「なんとか頑張ってくれ」と。その時、わかったことですが、コンビニで売られているケーキは男性向けなんですね。「弁当を買ったついでに、ちょっと甘いものでも買って帰ろうか」というサラリーマン向けなのです。もともと甘いもの好きの女性は、有名店に行きますから。ということで、先方からは「もっとアイテムを増やしたい」と言われています(笑)。
西岡 松田さんは、3カ月も赤字が続いたのに、よく耐えられましたね。何か支えてくれたのですか?
松田 2つあります。1つは、やめるわけにはいかない崖っぷちに立っていたことです。今でも、経営判断を迷った時は、あえて自分を崖っぷちに立たせるようにしています。上場を廃止する時も、周りからは「なぜ株価も上がっているのに、廃止するのか?」と廃止を留まるように言われましたが、私は「今の段階で上場を続けても、マイナスのほうが多い」と判断したのです。それで相当な借金をして、「やらなくちゃいけない」、「どうしようもない」というところまで自分を追い込みました。もう1つは、もともと自分が持っていた目的と目標を達成するためです。私には、「なぜ、この仕事を始めたのか」という目的が明確にありましたから、途中で「やめてしまおう」と思ったことはありません。
西岡 「人はこの世に生まれた時から、使命を持っている」というのが松田さんの信念ですね?
松田 ええ。私は、幼い頃から使命感をもっていたように思います。よく『シートン動物記』(アーネスト・T.シートン著)を読んでは、“生”と“死”が向かい合っていることを痛感し、「自分も頑張らなくちゃいけないんだ」と言い聞かせていました。それから、弟と母を早く亡くして、残された自分に対する使命感がますます強くなった、ということもあります。ところが、最近の若い人には、そのあたりのことを理解してもらえないことが多いですね。そこで、彼らには「この仕事は自分しかできないんだ、と大いなる勘違いをしろ!」と言っています。そもそも、「日本の食文化を世界に広めるのは、自分しかできない」なんてこと自体、大きな勘違いですよね。けれど、「自分しかできないんだ」と思い続けているうちに、いつの間にかそれが使命感に変わっていたということです。
西岡 高橋さんは、セブンイレブンでの失敗のときに、なぜそんなに頑張れたのですか?
高橋 なぜって、相手の逆鱗に触れたら怖いからですよ(笑)。実は、別のコンビニでも同じようなことは有ります。セブンイレブンのケーキは、あんなに小さくて380円もしますからね。価値の高い仕事はやり甲斐があります。だから、「安くします」と言うのはダメ。「もっと、いいイチゴを出します」と言って、OKをもらうわけです。
西岡 仕事をやめようと思ったことはないのですか?
高橋 「金印わさび」にいた時に、バイオテクノロジーをやっていたのですが、その頃の北海道知事が『バイオアイランド』という大きなテーマを作ってバイオのブームが起こりました。私は各地で講演会に引っ張り出されてね。その当時、「金印わさび」を辞めて、いきなり会社を作ったわけです。すると、「あんな仕事、絶対にうまくいくわけがない」と陰では言われるんですよ。そうすると、「あいつだけには言われたくない。くそっ!」って思うわけですよ。(笑い)
西岡 そうか、頑張れた支えは反発心ですかぁ。ところで、今日ここにお集まりいただいた方の中にも、「起業することを諦めようかなぁ」と悩んでいる人がいるかもしれません。そういう方へお二人からメッセージを送ってください。
松田 そういう時は、走りながら考えたほうがいいんじゃないですか? 立ち止まって「どうしようか」と悩んでいる時は、とかく失敗することとか、悪いことばかり考えてしまいますからね。
西岡 松田さんは、「悩んで眠れない」なんてことはないんですか?
松田 ないですね。もともと睡眠時間は少ないほうで、4時間ほどしか眠りませんが。
西岡 夜は、バタンキュー?
松田 そうですね。嫌なことがあっても、「どうにでもなれ!」という感じ。
西岡 高橋さんはどうですか?高橋 私は、眠れないほうですね。ある晩、家内が目を覚またら、私が会社の金庫から保険証を出してジッと見ていたと。彼女はてっきり、私が自殺でもしてしまうんじゃないかと思ったらしいですよ(笑)。自分では意識がなかったのですが、悩む方ですね。それにしても、「やりたいことは、やってみるしかない」と思いますね。やってみて、失敗して、学習して、また走る、の繰り返し。あまり深刻に考え過ぎないほうがいいのではありませんか?
西岡 一度決めたら、やればいいじゃないかと。
高橋 正しいこと、世の中に役に立つことをやっていれば、必ず誰かが助けてくれる、という信念があります。何度か失敗して、会社を潰しかかったことがありましたが、必ず誰かが助けてくれました。それは、私のやっている仕事が、世の中に必要なことなんだろうと。
松田 走りながら考えろと言いましたが、しかし、「ダメになったら、潰してしまえばいい」という考えだけは、絶対にしないでほしいですね。なぜなら、1回失敗すると、次に成功させるのは難しくなります。だからスタートアップしたら、なんとしてでも成功するまでやり切ってください。
西岡 さて、ここからは会場の皆さんに質問してもらいましょう。お二人に「ぜひ聞きたい」ということはありませんか?参加者 お二人の“野望”というか、どんなビジョンで最終ゴールを目指しているか教えてください。
松田 私は、「食を通じて世界の文化の架け橋となること」を使命としてやっていますが、ぜひ日本初のインターナショナルチェーンを目指したいですね。例えば、吉野家ディー・アンド・シーは、国内に100店舗ほどしかなかった頃すでに、「日本の牛丼を世界に広めよう」と、米国デンバーへの出店を果たしました。実は、私も緑茶専門のカフェである『クーツグリーンティー』をいつアメリカへ持っていこうか悩んでいたことがあるのですが、その時に安部社長から言われたのは、「やろうと思った時にやれ。それが5店舗だろうが、10店舗だろうが関係ない」という言葉でした。近く、クーツグリーンティーもシアトルに出店しますが、マクドナルドは全世界に4万店舗、そのうち日本に3800店舗を展開しています。そういうレベルを狙いたいですね。
西岡 高橋さんはどうですか?
高橋 希望はいっぱいあります。米もやりたいです。流通にしろ、営業にしろ、農産物に関わることでやれることはたくさんあります。だから面白い。けれど、まだまだ法律上の問題もたくさんあります。農業の流通では中間マージンを取る人が大勢いるんですよ。あれがなくなったら、ものスゴイ改革でしょうね。イチゴだけとっても2000億円市場といわれますが、それは農林水産省が発表している市場流通額にすぎません。改革すべきことだらけです。
西岡 ちなみに高橋さんは、業務用イチゴ卸の大手「西村」を子会社化して、苗の生産・販売からイチゴの仕入れ・販売までをトータルに行うワンストップショッピングを成功させていらっしゃいます。ほかに質問されたい方はいらっしゃいませんか?
参加者 人の育て方で苦労されたことはありませんか?
高橋 一番頭の痛い質問ですね。実は、私は人を育てるのがヘタなんです。人に教えるなんて、おこがましくて、考えただけでも気分が悪くなります。これまで、“少数先鋭”なんてカッコいいことを言っていましたけれど、正直、それでは追いつかなくなっていますからね。今年は12名くらいの社員を増やしたのですが、これは40名ほどの当社にしてみれば大変なことでして、何とか自らが考えて手を上げてくれる人をつくろうと思っています。
松田 自分より優秀な人に来ていただきたいと思っています。ただ、経営理念や事業に向ける情熱だけは、自分が彼らに勝っていなくてはいけない。そして、どんなに優秀でも、経営理念や事業に向ける情熱に共鳴してくれない人は、すぐに辞めていってしまうと思っています。同じ船に乗って、一緒に懸命に漕いでいってくれる人を見つけるのが、一番難しい。永遠のテーマですね。そのためにも、社員とは常に面と向かい合って、自分が考えていることを直接話すことが大切なんだろう、と思っています。インターネットなどのコミュニケーションツールに頼っていては、そうした思いを伝えづらい。ですから、自ら社員のところへ出向いて行って、店のマネージャーやアルバイトフェローに話しかけて、自分の気持ちを伝えるようにしています。忙しくて大変ですが、楽しいですよ。
西岡 ところで、今日は会場に「EOY JAPAN 2004ファイナリスト」の坂本さん(ブックオフコーポレーション代表取締役)がいらしています。そこで、人を育てる名人でもある坂本さんにも、お話をうかがいましょう。
坂本 うちは、“古本屋”という人が介在して成り立つビジネスモデルなので、社員とのコミュニケーションを多くとるようにしています。私の今年度の目標は、1000人の従業員と夕食をとること。次に“連結売上”、その次に“経常利益”です。ただ、夕食といっても、一緒に酒を飲みながら雑談に終わるのではなく、「自分の夢と成長。そして理念を持ってその目標に近づくためにはどうしたらいいか」といった中身の濃い話し合いができる場にしたいと思っています。当社では、その年に一番努力してくれた店長をバルセロナに連れていく、というイベントがあるのですが、人材育成にかける費用は、“費用”ではなく、“投資”と考えています。そして、そうした取り組みを続けることで、互いの心がつながり、必ずその成果が表れると思っています。
西岡 坂本さんありがとうございました。そして、松田さん、高橋さん、ありがとうございました。本日のパネルでの出会いがきっかけとなってタリーズ・コーヒーの店頭にホーブのイチゴが並ぶといいですね。会場のみなさま、ありがとうございました。次回、このリアル・コミュニティを開催する時には、「ぜひ、パネラーの席に座りたい」という方はご連絡をお待ちしております。

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