―――――― 趣味・幼少の頃 ――――――
西岡 今日は、あまり知られていない飯塚さんのステキな一面を探りに来ました。まず、ご趣味から教えてください。
飯塚 ものづくりですね。いわゆる、日曜大工。庭造りってのもありますが、自宅にテラスをこしらえたり、屋根を張ったりしています。子供の時から、タンスくらいは自分で作っていましたから。

西岡 引き出し付きの? それって簡単には作れないですよね。
飯塚 とにかく長くて大きい板を安く手に入れて、切り出して……。
西岡 設計図から描き始めるんですか?
飯塚 そう、手描きでね。最近では、都心に家を建てたのですが、その時もやりましたよ。もちろん、最終的にはプロの設計士がCADを使って、きちんとした図面に仕上げてくれますが、原案は自分で作りました。タンスと同じです(笑)。要するに、ものづくりが好きなんです。今の商売も小学校4年生の時に真空管ラジオを作って徹夜したのがスタートです。気が付いたら夜が明けていましたね。まさに「無我の境地」。実に快感でした。思えば、最近の人たちはかわいそうですよね。かつての工作少年って、真空管を実際に目にして、手で触れていたじゃないですか?
西岡 今は、ブラックボックスになっていますからね。
飯塚 そうそう。コンデンサーは金属と金属が向き合ってできているなんて、誰でも知っていたでしょう。うっかり手を触れて、ズキンとしたりしてね。ところが、今は中を見ることもできないし、触っても何も感じない。まるでバーチャルの世界ですよね。
西岡 簡単に殺し合うようなテレビゲームと同じ。苦しさも、痛さも知らない。
飯塚 ちなみに、僕はハンダ付けのヤニのニオイが好きでしたね。中学生の時はスピーカーボックスも作りました。僕はせっかちだから木工をやっている時の待ち時間がつらいですね。ニスが乾くのを待ったりする。次のことが早くやりたいのに待たなければならないのはつらいのです。せっかちなのです。
西岡 ベンチャーには、せっかちな面も必要なんじゃないですか?
西岡 ベンチャーには、せっかちな面も必要なんじゃないですか?

―――――― 時定数について ――――――
飯塚 社内のブログで、「時定数の違いについて」書いたことがあるんです。たとえば、「ナノ秒の世界の仕事をやっている時には、マイクロ秒の事象も、ミリ秒の事象も同時に起こっているわけですが観測できない」といったような内容です。特に、創業時にそういうことを痛感しましたね。僕たちは、少しでも早く事業を始めたいわけです。つまり、お客さんと少しでも早く契約して、そこから支払いを受けたい。そうすることで、僕らにようやく酸素が回ってきて、呼吸ができるようになるんですよ。けれど、その時定数が大企業と僕たちとでは全く違った。我々は時定数が例えばナノ秒で動いているのに大企業はミリ秒とかで動いているのです。
西岡 なるほど。
飯塚 創業当初のうちのお客さんだった日本の大企業の時定数は早くて半年。僕らのそれは数日ですからね。
西岡 だから最初サムソンと組まれたのですか? 彼らの時定数はどうでしたか?
飯塚 彼らも数カ月の単位でしたから、僕たちにとってはこの時定数の差の克服は大変なことでした。で、どうやってそれをしのいだかというと、その期間を埋められるようにお客さんをたくさん作って、つなぎ合わせることで、なんとか生き延びられるようにしていました。
西岡 そういう場面で、「時定数」なんていう物理用語を使うのは、飯塚さんらしくていいですね(笑)。それにしても、ベンチャーのサイクルと大企業のそれを時定数で計るというのは面白いですよ。いいことを聞きました。
―――――― タイプ(性格)について ――――――
西岡 ところで、飯塚さんは緻密に計算してから行動されるタイプですか?
飯塚 僕は、感覚的で粗っぽい方で、意識して緻密さを追求する努力をしてきました。おふくろからも、よく「大胆さと緻密さの両方を兼ね備えて初めて、価値のある人間になる」と言われていましたから。
西岡 どんな努力で緻密さを磨かれたんですか?
飯塚 大学受験ですよ。もともと学校でテストなんかがあると、サッサと答えを書いて教室を出て行っちゃうタイプだったんですが、勘違いやケアレスミスも多くて。それを受験の時に努力して、直したんですよ。問題をどう解くかにはあまり悩まず、どうミスを出さないかと。
西岡 へぇ。普通の人は嫌がる受験を上手に利用したなんて、面白いですね。
飯塚 そういえば、昨年、大学院時代の先輩が亡くなったんですが、彼はサラブレッドでしたね。お父様とおじい様の二代にわたって東大教授でしたから、僕なんかとは比べ物にならない。友人たちに言わせると、彼は「磨き抜かれたロールスロイス」で、僕は「埃をかぶったダンプカー」らしいですよ(笑)。
西岡 埃をかぶったダンプカー? いやぁ、飯塚さんらしくて実に面白い。
飯塚 先日、韓国の取引先から「50万坪の土地を切り開いているから、ぜひ見に来い」と誘われて見学に行ってきたんです。50万坪(約170万平方メートル)といったら、東大の本郷キャンパスが10個分、東京ドーム球場が35面も入るくらいの規模でしょうか。そこをランドクルーザーに乗って、埃まみれになりながらまだ舗装の終わってない広大な敷地を見て回ったのですが、埃をかぶったダンプカーとしては実に爽快で、感動しましたね。
―――――― 休日の過ごし方について ――――――
西岡 ところで、お休みの日は何をやられているんですか。
飯塚 工作ですね。やっぱり工作です。庭造りも好きですが、最近は、もっと趣味の領域を広げたくて、絵も描き始めましたが、基本的にはものづくりです。家を建てた時に担当してくれた建築家は、「ずいぶんうるさい客だなぁ」と思ったでしょうね。自分でいうのも何だけど、僕は空間認知能力が高いんです。だから、平面に描かれた設計図でも、地図でも、ワッと立体的に認識できる。最近完成した家は、地下室が2階まであって、地上は2階、敷地が高台の肩で傾斜のある敷地で、3次元の想像力が試されます。完成するまでの半年間は、僕にとって最高に楽しい趣味の時間でしたね。
飯塚 工作ですね。やっぱり工作です。庭造りも好きですが、最近は、もっと趣味の領域を広げたくて、絵も描き始めましたが、基本的にはものづくりです。家を建てた時に担当してくれた建築家は、「ずいぶんうるさい客だなぁ」と思ったでしょうね。自分でいうのも何だけど、僕は空間認知能力が高いんです。だから、平面に描かれた設計図でも、地図でも、ワッと立体的に認識できる。最近完成した家は、地下室が2階まであって、地上は2階、敷地が高台の肩で傾斜のある敷地で、3次元の想像力が試されます。完成するまでの半年間は、僕にとって最高に楽しい趣味の時間でしたね。
―――――― 血液型 ⇒ 株主について ――――――
飯塚 西岡さんは知性派ですよね。僕なんか、臭いがどうとか、熱いとか、体で感じるタイプですが。
西岡 ボクは知性派ではないでしょうね。むしろ動物的で、知性のかけらもありません(笑)。ただ、ベンチャーの作った事業計画書を極めて論理的にチェックするという能力は衰えていませんけど。ところで飯塚さんの血液型は?
飯塚 A型ですが、血液型なんて気にしないほうですね。
西岡 そうですか? 僕は典型的なO型ですが、A型の人には緻密な方が多いですよね。囲碁の世界でも高段者にはA型の人が多いと言われています。
飯塚 昔のことですが、芸大の坂本龍一氏のクラスメートは全員AB型だとかいう噂を聞いたことがありますが何か因果関係はあるんでしょうかね。
西岡 AB型の人は難しいですよね。
飯塚 ええ確かに難しいですね(笑)。
西岡 なんだ、飯塚さんだって血液型、意識してるじゃないですか?
飯塚 実は、昨日の株主総会の席で、ある株主の方が「健康のために」と本を一冊プレゼントしてくれたんですが、そこに「ヨーグルトには軽い下痢を起こす作用があるから、あまりよろしくない」と書かれていたんですよ。
西岡 えっ? 僕は毎日、カスピ海ヨーグルトを食べていますよ。
飯塚 僕もヨーグルトは毎日いっぱい食べていますよ。
西岡 それにしても、株主総会で株主が社長の健康を思ってくれるなんて、嬉しいことですよね。
飯塚 そうですね。株主との質疑応答は幾ら永くなってもいいと思っています。今回も40~50分続きましたよ。それも、そのほとんどが応援のためのエールでした。
西岡 飯塚さんの人間力ですね。
飯塚 いつもの事ですが、「配当が少ないとか」言う人もいますが、私に言わせれば「配当と成長は相反するもので、どちらで株主に報いるかは、企業が成長フェーズか成熟期かで異なる。我らはまだまだ成長期の少年企業」です。
西岡 そういう社長の本音の思いをぶつけないとダメですよね。弱みを見せないように上手に乗り切ろうと、社長の本音を出せないで、きれい事の株主総会対策を練るというのは絶対に良くないですね。
西岡 そういう社長の本音の思いをぶつけないとダメですよね。弱みを見せないように上手に乗り切ろうと、社長の本音を出せないで、きれい事の株主総会対策を練るというのは絶対に良くないですね。
飯塚 良くないですね。違法性がないように開催するためにしっかり準備をするのは必要なことだけれど、株主を黙らせるために「臭いところにフタをする」みたいな対策は良くない。そもそも、うちは初めから、拝金主義のようなやり方を否定して展開してきましたから、風通しがいいですね。
西岡 それは飯塚さんの「金で来た人は金で去る。僕は君に金をオファーしない」という言葉からも、よくわかります。
―――――― 「脱藩」 ――――――
西岡 飯塚さんの著書に、「脱藩ベンチャーの挑戦」(PHP研究所総研出版発行)がありますが、「脱藩」というのは実にうまい表現ですね。「スピンオフ」というと、単に「一人で飛び出す」というような印象を受けますが、「脱藩」というと、「藩(会社)の戦略に同意できない人が、自分の志、夢の実現を目指すために藩を飛び出す」という実感がでます。
飯塚 確かに、僕たちには「志」がありました。ところが、「志」があっても、日本では大企業を辞めた者に対して、「何かあったのか」というような目で見ますよね。東芝を卒業して数カ月後に、日米の半導体のシンポジウムがあったのですが、そこで日本人とアメリカ人の対応が全く違ったのには驚きました。東芝の肩書きが消えた僕の名刺を見て、「哲哉、やったね、おめでとう!」と言って、起業したことを一緒に喜んでくれたのがアメリカ人でした。日本人の反応は「どうしたんですか?何かあったんですか?」と聞いてくれるのはいい方で、多くは話題にしないように変な気をつかってくれるのです。
西岡 「そこは、触れちゃいけない」という感じですか?
飯塚 そうです。こちらは、夢を持ってワクワクして起業したというのに、何かまずいことがあって辞めざるを得なかったのか?というような感じでした。それには、傷つきましたねー、ショックでした。
西岡 そーかー、そんな経験をされましたか。
飯塚 僕が、日本半導体ベンチャー協会を設立したのも、そこに起因しているのかもしれませんね。世の中に対して、「創業者こそ選ばれた人であり、アントレプレナーこそエリートなんだ」と声を大にして言いたかった。そう仲間に呼びかける、という意味で「脱藩」なのです。
西岡 僕は、ベンチャーと一緒に大企業を訪問する機会が多いのですが、いつも気になるのはそこに現れる大企業のミドルの連中の覇気のないこと。人数だけは多いのですが、彼らの目はまるで死んだ魚のような目をしているんですよ。絶好のチャンスとベンチャーが技術の説明の話をしてもコックリ、コックリが始まります。一度、堪りかねて「難しい仕事でも5年後には自分の手で成功させるんだ、というサクセス・ストーリーを書くつもりで仕事をしなさい」と注意したことがあります。
飯塚 そういえば僕も、昔のことですがコンサルタント業をしていて、クライアント先の会社を訪ねたことがあるんですが、彼らは大勢で2列に並んで座っているんですよ。大勢参加して頂いて大変嬉しかったのですが、会議が長くなってくると、後ろの人たちがいっせいに船をこぎ始める。確かに、ビジネスの話し合いを大勢でやるのは臨場感を薄め問題ですね。
飯塚 そういえば僕も、昔のことですがコンサルタント業をしていて、クライアント先の会社を訪ねたことがあるんですが、彼らは大勢で2列に並んで座っているんですよ。大勢参加して頂いて大変嬉しかったのですが、会議が長くなってくると、後ろの人たちがいっせいに船をこぎ始める。確かに、ビジネスの話し合いを大勢でやるのは臨場感を薄め問題ですね。
西岡 何かあった時に自分で責任を取らないで、「皆で決めた事じゃないか」という言い訳をしたいんでしょうね。
飯塚 そういう大企業からはもっともっと世直しのための脱藩者が出ないと行けません。
西岡 世直しのための脱藩。まるで、坂本龍馬のようですね。坂本龍馬は33歳の若さでこの世を去るまでに、新しい日本を実現するためあれだけの仕事をしました。すごい人物ですよね。33歳までにまでにあれだけの仕事をしたのですからね。それにしても昔は若くても大きな仕事をしましたね。僕がシャープに入ったのは25歳の時でしたが、当時の係長は28、9で15人くらいの部下を率いて、立派に自分のグループを切り盛りしていましたからね。ものすごく怖かったし、業務日誌なんか真っ赤にされましたよ。ところが、最近は35、36でも、まだピヨピヨしている。
飯塚 そう、ピヨピヨしていますよね(笑)
西岡 飯塚さんが「平成の坂本龍馬」と言われる理由がわかりますよ。日本人が一番好きな歴史上の人物。ステキな人ですよね。今日は、ありがとうございました。
飯塚 ありがとうございました。
飯塚哲哉さんのProfile
1975年、東京大学大学院電子工学科修了、工学博士。同年より株式会社東芝勤務(1980-81 米国HP社IC研究所駐在。1990-91 東芝半導体技術研究所LSI開発部部長)。1991年、株式会社ザイン・マイクロシステム研究所設立。翌1992年、ザインエレクトロニクス株式会社設立、2001年にJASDAQに上場。2005年は売上218億円、経常利益26億円。2004年 社団法人日本半導体ベンチャー協会を設立して会長就任、現在に至る。
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